聖書 ヨブ記8章1節~10章22節
   ルカによる福音書15章33~34節
説教 平和の共同体の心得「神へ不条理を訴えるヨブの凄さ」

ヨブ記を読んでいて驚くことはヨブの苦難について納得できないことを神に訴えていることです。なぜ、自分は無垢で正しいのに神は自分に苦難を与えるのかと訴えて止まないことです。そして自分は死にたい、生まれない方が良かったと語るのです。友人シュア人ビルダドはヨブに対して神は罪を犯すものに災いを与え、従うものには祝福を与える神だから神を信じるように語りますが、ヨブ記での神はサタンと組んで神に従って、正しく生きているヨブに災いを与える神です。ここに描かれているのは、正しいものに災いを与える神です。
ここに出てくる神は信じるに値しない、否、信じてはいけない神ではありませんか。ヨブはそれに勘付いたかように、正しく無垢な者に苦難を与える神なら自分はこの世を去ると言い放ちます。サタン化した神とは付き合いたくないということをヨブは語っているように私はここで思えてなりません。そして、ヨブは正しいことを語っているではありませんか。神のやっていることはおかしい、間違いだと語っているではありませんか。これは凄いことです。ヨブ記では神を超えるヨブの姿が私には見えてしまいます。

キリスト教信徒は神に従うことを強いられます。神に従わないのは罪とされ、悔改めを求められます。パウロにあっては全ての人は罪人とされ自分の力では救われない存在に人を追い込むような記述もあります。キリスト教徒はイエスの十字架によって罪が贖われたという教義を作り、それを信じることで救い(死後天国へ行くことができるという)の教義を更に加えていったように思います。しかし、聖書を読んでいきますと、十字架とは関係なしに正しい人が描かれていることがあるように思います。ヨブはその例ですし、新約聖書ではユダヤ教徒の洗礼者ヨハネもその一人です。本日の聖書の個所にもありますが、「およそ女から生まれた者のうち、彼より偉大な者はいない」とイエスから言われております。この洗礼者ヨハネは人々に支え合って暮らせ、不条理なことをするなと人に道を正すように勧めて、悔改めの洗礼を授けていました。ヨハネはヘロデ王の姦淫の不正に対して指摘し首をはねられた人です。ヨブもヨハネも正しい人であったと聖書は語ります。そして、ヨブもヨハネも不条理なことについては権力者であろうとも間違っていると訴えたことです。ヨブの場合、それが神であっても不条理だと言い続けるのです。ヨブの凄さはここにあるのです。

私たちの暮らしは、正しい人が顧みられず、狡猾な人がのうのうと生きている現実にあるのではないでしょうか。罪のない人が苦しんでいるのではありませんか。病気や災害、いじめや虐待、差別や偏見、ハラスメント、戦争を含む暴力・・・聖書はこれらについては間違っている、正せと言え、それを引き起こすものが権力者であろうとも、神であろうとも訴え、正すようにして生きよ、とでも語られているように本日の聖書の個所から受け取りました。

みなさまの祝福を祈ります。