聖書 ヨブ記38章1節~42章6節(旧約p826)
マタイによる福音書7章21~28節(新約p30)
説教 平和の共同体の心得「モラルハラスメントから脱する」
現代、日本はモラルハラスメント社会ともいえるようです。ある能力に長けた人に支配されていますが、それを暴力とは認めず、善であると信じ込ませる、マインドコントロールがなされている状態のようにも私は思います。親が子供に対してする躾と称した心身への暴力。教育上必要だとされる体罰を含むや言動。経済的糧を対価としての強制労働などこの世は一見良いように思われるハラスメント=暴力でシステム化されていると思われます。しかも、その暴力には躾や教育や経済的成長、社会貢献というような大義名分を用意され、隠蔽されたり、善と思わされたり、マインドコントロールされている状態に私たちは生きているのではないでしょうか。これは人間にとって不幸なことです。悪戯に命を傷つけられ、破壊されている状態にあるのではないでしょうか。
ヨブ記にでてくる神は、この現代社会の神そのものだと思います。神はサタンと組んで無垢で正しいヨブの財産、家族、健康を奪いました。そして、本日のヨブ記の個所には、ヨブの前に神が登場するのですが、神はヨブに苦難を与えたのは自分とサタンとの悪戯だと本当のことは言わないのです。第一声が「知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くする者はだれか。」ときます。知識もないのにわかったようなことを言うな、というように相手の弱さを突く言い方でヨブの口を塞ぎます。そして、「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。私はあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたは何処にいたのか」と続きます。知識がないから摂理などわからないと、一発目でヨブの発言は無駄だと言いつつ、次にしっかりして話せ、答えよ、と言う神。この神なんだ?神はヨブにしゃべらせないように初めに行っておいて。次に話せとヨブに命じる。ここだけ読んでもむかついてくるのに、次に、大地を作ったのは自分だ、海を作ったのは自分だ、自然現象や生き物のありようを作ったのは自分だといかに神が力あるかを語っていくのです。ここを読んでいくとはらわたが煮えくり返ってきてしまうのです。そして、私の怒りが最高潮に達するのが、40章8節「自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか」というところです。神はヨブについて「無垢で正しい」と認めていました(ヨブ記1章8節)。ヨブ記の著者も「無垢で正しい」(ヨブ記1章1節)として登場させています。神はサタンと組んでいますからその時点で不義ではないですか。しかも、ヨブの財産、家族、健康を奪うという非人道的なことを行っていますし、子ども10人、使用人のほとんどの命を奪ったのですから、十戒違反を犯しています。ヨブは義人で神は不義でしょう。それを神は神のやったことを隠し、「自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか」とヨブに問う。これではヨブは、「いえいえそんなことはありません」と言うしかないではないか。これはひどいです。力でヨブをねじ伏せ、隠蔽工作と宗教的常識を使ってヨブをマインドコントロールする。自分の力と隠ぺい、教義を使ってヨブを悪魔の神の奴隷とする。最後にヨブはなんと言うか。「私はあなたのことを耳にしておりました。しかし今、この目があなたを仰ぎ見ます。それゆえに、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔改めます」(ヨブ記42章6節)こう言うのです。読者の私は、ヨブにここでそんなことするな、悔改めるのは神の方だろうと心の中で絶叫しているのです。
一方、本日のマルコによる福音書に出てくる神であり人であるイエスですが、異邦人でたぶん異教徒のシリア・フェニキアの女に、自分の幼い娘が汚れた霊に取り付かれているので悪霊を追い出してほしいと願われます。イエスははじめ、異邦人や異教徒よりイスラエルの人々への癒しや解放の救いの業をするから、今はできないと断ります。それを次のような言葉で語ります。「まず、子どもたちに十分食べさせなければならない。子どもたちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(マルコ7:27)と。しかし、この女性はその言葉にクレームをつけるようにですが、機知にとんだ言葉を返します。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子どものパン屑はいただきます」(マルコ7:28)。イエスは方針を変え、その女性の娘の悪霊を追い出したのです。
私の神は救い主です。ヨブ記の神は力で信者を洗脳し、自分の悪戯を隠蔽する神です。まさしく、現代のモラルハラスメントの神です。この巧みな暴力神とどう対峙し、かつ、退けていけるか。これが私の今の課題です。聖書にあるヨブ記の神。信仰者はヨブ記の神をも自分の神と認めている方がほとんどです。聖書による洗脳ですよ、これは明らかに。ここから私がやっていくべきなのか。ああ、やりたくない。神よ、何とか、憐れんで、あなたの本心をすべてのキリスト者に示し給え。