聖書 ヨブ記29章1節~31章40節(朗読30章20~23節)
ルカによる福音書2章8~21節
説教 平和の共同体の心得「神は救い主」
本日は恩師長谷川先生と宮城教育大学言語障害児教育教員養成課程(一年課程)の同期生の方々が集まっていただきありがとうございました。宮城教育大学時代に、私の家に礼拝に参加するために皆様が集まるなんて誰が想像したことでありましょうか。
これを神さまの奇跡と思いたいです。
さて、最近は礼拝ではヨブ記を用いています。ヨブ記をよく読むよう勧めた人に、林竹二がいたように思います。
林竹二は宮城教育大学の学長だった方で、今回宮城教育大学繋がりと言えばこれも不思議なことです。
林竹二は1969年宮城教育大学第2代学長に就任し、終始学生側の側に立つ姿勢を貫き、同大学が大学紛争の渦中に陥り、学生たちが大学構内を封鎖したときには、構内に入り込んで学生と対話の労を惜しまなかったそうです。林は学長室自体を封鎖されたバリケード内に移したいとさえ主張しました。学生紛争を対話で解決した唯一の学長とされています。
ヨブ記、これは、イスラエルの詩の様式を取った文学らしいです。ここで紹介されるヨブは無垢で正しい人として登場します。財産にも恵まれ、家族も平和に暮らし、健康も与えられていました。しかし、神はサタンと組んでヨブの信仰を確かめるために、ヨブの全財産を奪い、すべての子ども10人も失い、健康も重い皮膚病にされてしまうというストリーです。この状態でヨブは正しい者に苦難を与える神とは何事か、こんな状態なら死んだほうがいいと神に対してクレームを吐き続けていくという内容です。私もヨブ記を読んで明らかにヨブ記に出てくる神はヨブより悪い。いや、不条理な苦難を与える暴力神、悪魔そのものだ。ヨブの訴えは正しいと解釈するようになりました。
キリスト教の神は皆さんもクリスマスでおなじみの「救い主」です。
本日のルカ福音書にも書かれています「救い主」です。苦難から救いだす神です。暴力をふるわれる人々を助け出す、不条理な苦難から救い出す神です。
不条理な力関係で成り立っているのが現代社会であるという安冨歩などの思想家がいますが、私もそう思います。経済力や軍事力、既得権益で人々を支配できる社会システムの中に生きているのが私たちではないのでしょうか。1970年代当初に起きた学生の反乱はこの不条理な社会に対する暴力的反抗だったのだと思います。学生側に常に立った林竹二はその学生の気持がよく分かっていたのだと思います。学生の叫びは、最大の支配者である、あるいは、最大に信頼していた神に不条理な苦難を与えられたヨブの叫びと一致するように思えたのではないでしょうか。
被災や紛争、いじめやハラスメントなどの虐待などが現代では不条理な苦難とされているように思います。それを引き起こしたものがたとえ、神であろうともそれを正統化してはならい。神であってもおかしいものはおかしいとクレームをつけてよい。これを示しているのがヨブ記のメッセージのように思います。なぜなら、神は私たちの救い主であるのですから、不条理な苦難は与えることができないのが筋でしょう。
私たちは長谷川先生に言語臨床について教えていただきましたが、私は、見守る臨床ということを学んだと思っています。この考え方も徹底的に弱者側に立つ、不条理な苦難を受けている側に立つ思想に導かれているように思います。不条理な苦難を受けた者はそれをよく知る者に見守られていると分かったとき、不条理な苦難が苦難だけではなくなり、生きる原動力と化するのを私自身体験する者ですし、臨床の経験上幾度もみています。長谷川先生から教わった見守る臨床も、ヨブ記のメッセージ、林竹二の思想、救い主の神からのメッセージのようにわたしは受け止めています。不条理な苦難を受けている側に立つ思想。明日からの臨床に、臨床だけではなく、暮らしに具体的に生かしていきたい思想だと改めて思わされた次第です。