聖書 ヨブ記28章1節~28節
   ルカによる福音書7章18~33節
説教 平和の共同体の心得「神の知恵とは何か」

ヨブ記に出てくる神はサタンと組んでヨブの財産、家族、健康を奪い、無垢で正しいヨブの信仰を試す神です。本日のヨブ記に突如出てくる「神の知恵の賛美」。ヨブ記の記者の挿入と思われます。その内容には、この世で人が訪ね求める最も価値のあると思われるもの(たとえば金銀宝石など)に勝る価値あるものが神の知恵であるとここで唄い、神がその知恵のある所を知っていると唄い、28節の結びでは次のように唄われています。

そして、人間に言われた。
「主を畏れ敬うこと、それが知恵
悪を遠ざけること、それが分別」

ヨブ記を読んできて、ここにきて私は本当にむかついてきます。
サタンと組んで無垢で正しいヨブの信仰を試すためにヨブに苦難を与える神(子ども達10人を殺害したんですよ。その他にも使用人も殺害しています。財産も奪い、ヨブの体は重い皮膚病とさせたんです。ヨブの神は)を畏れ敬えというのですか?いやあ、それはできません。私はヨブ記の神に物申したい。「悪を遠ざけること、それが分別」この言葉をヨブの神、あなたに捧げます。

神の知恵とは何でしょうか。それは、本日のルカによる福音書のイエスの言葉によって私は知らされます。この場面は洗礼者ヨハネが、イエスが救世主かどうか、弟子たちに確かめさせるためにイエスのもとに遣わされた時にイエスが言った言葉です。「言って見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生きかえり、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」というところです。神の知恵とはこのイエスの本日の言葉であると私は思います。

このような救いが神の知恵であり、本日のヨブ記でいう神を畏れ敬うことが知恵というなら、私は、この救いをもたらす主イエスなら神として喜んで畏れ敬いたいです。

「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生きかえり、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」

イエスを神と受け入れること、これこそ、この世を幸いにする神の知恵なのではないでしょうか。

みなさまの祝福を祈ります。