聖書 ヨブ記1章1節~2章13節(旧約p775)
ヤコブの手紙5章1~7節(新約p426)
説教 平和の共同体の心得「理由なき苦難の後の祝福」
暮らしの中では苦難は付き物。自然災害、病気、戦争、紛争、差別や偏見のよる人間関係など様々な苦難と共に私たちは生きています。また、同時にその苦難の意味を人類は問うて来たと思います。本日から入る旧約聖書のヨブ記も人間の苦難はなぜ生まれるのか、特に神を信じる正しい人にもなぜ財産が失われて、家族が失われ、健康が失われるのかという問いと回答がヨブ記という文学を通して示されています。
ヨブはイスラエル人ではありません。東の国一番の富豪で家族に恵まれ、健康にも恵まれていたようです。主からは、イスラエル人でないにも関わらず「地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と好評価を得ています。ところがサタンが神にヨブの信仰は財産や家族や健康があるからだ、それを奪い去ればヨブの信仰がなくなると、ヨブの信仰を確かめるように神をそそのかします。そして、神の許可を得てサタンがヨブに下した災いがヨブの苦難だったという出だしになっています。ヨブの苦難はサタンと神が組んで行ったいたずらみたいなものということだと私は思いました。それを知らされないヨブはたまったものじゃない。周囲もたまったものじゃない。しかし、読者は、ヨブの苦難は結局神の仕業、最後には何とかなるはずだと楽観するわけです。果たしてその結末はハッピーエンド。財産は2倍以上に増え、家族も同様に与えられ、ヨブの健康も戻り4代先まで見ることができました。
ヨブ記での苦難の意味は後に来る祝福です。ヤコブの手紙5章11節にもヨブの例が挙げられ、「忍耐した人たちは、幸せだとわたしたちは思います。あなたがたはヨブの忍耐について聞き、主が最後にどうしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く憐れみ深い方だからです」とあります。苦難のときには、忍耐が必要です。しかし、ただ忍耐するのではありません。その先、必ず、主の福福、祝福の倍返し以上のことが待っていると信じて忍耐するのです。
これはクリスチャンだけのことですかね?
いやいや違いますよ。ヨブはクリスチャンでもなければ、イスラエル人でもありませんから。どこの人かわかっていないらしいです。ですから、誰でも苦難にあっている人は神様からの祝福があるから待っていててね、というメッセージを本日の聖書から受け取る者です。苦難は神様のいたずらみたいなものなんですから。
神様、責任取ってよ!
あっ、取るんですね、すみません、言い過ぎました(汗)。
みなさまの祝福を祈ります。