サムエル記下7章1~17節
マルコによる福音書13章3~13節
説教 平和の共同体の心得「イエスが平和な世界の完成者」
 
有史以来現代に至って、核兵器等の殺人兵器を持った抑止力で平和を築こうとする。これは脅されてしかたなく戦争しない状態を保つようにすることと同じではないですか。人間にできる平和建設の方法はこれが限界なのでしょうか。とても残念に思います。聖書が言う神が創る平和は全く武器は要りません。神と人を愛すること、弱者や小さき人と共に生きることによってなされると私は本日の聖書から受け止めました。
 
ダビデ王はエルサレムの王宮に住むようになり、安らぎを覚え、それを与えてくれた神のために十戒の入っている神の箱を立派なレバノン杉(高級な建材)の家に入れようと思ったようです。ダビデはナタンという預言者にそのことを言いました。ナタンはそのことについてよいと思ったのでしょう。なんでもお好きなようにするようダビデに言いました。ところが、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は、以下のようなことでした。「わたしは自分の家を建てよと言ったことはない。幕屋を住みかとしイスラエルと共に歩んできた。ダビデに告げよ。ダビデと共にいて敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。イスラエルの民には一つのところを定め、そこに住み付け、昔のように不正を行うものに圧迫されることもない。ダビデに安らぎを与える。主がダビデのために家を興し子孫に継がせる。ダビデがわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座を堅く据える。わたしはダビデの父となり、ダビデはわたしの子となる。ダビデが過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭となってダビデを懲らしめよう。わたしは慈しみをダビデから取り去りはしない。ダビデの王国は、ダビデの行く手にとこしえに続き、ダビデの王国はとこしえに堅く据えられる」というようなことです。ダビデの家が主によって建てられ、王国としてとこしえに続くということでした。ダビデはこれに感謝の祈りをささげますが、イスラエルの王国は歴史上は滅んでしまいます。しかし、イスラエルの神を信じ、十戒を保持し、守ろうとする信仰共同体としてのイスラエルは歴史上からは消えることなく、むしろ、バビロニア捕囚にあっても、返ってそれによって世界のあちこちに広がっていきました。
 
イエスはこの信仰を受け継ぎ、真理を説いていきます。今後の世界が「終わりの日」にどうなるか、本日のマルコによる福音書には、以下のようんことが書かれています。
偽の救世主が現れる。戦争や地震、飢饉が起こる。支配者に捉えられ、打たれる。福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。支配者の前に連れて行かれたら聖霊が語るままに語ればよい。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は父に反抗して殺すだろう。また、イエスの名のために弟子たちはすべての人に憎まれる。
これを聞いた人の中には、まるで現代でも当てはまるようなことではないかと思う人もいるのではないでしょうか。私はそう思っています。
 
しかし、「最後まで耐え忍ぶものは救われる」(マルコ13:13)という希望を与えてくれています。何を耐え忍ぶのかというのでしょうか。前後の聖書の個所やマタイやルカ福音書の平行個所をみますと、「神と隣人を愛する」「小さき者、弱い者を助ける」という行為を貫いて生きていくことへの忍耐であると思います。
ダビデの子孫の家系を受け継ぐイエス。田川建三からは時代の先駆者と言われるイエス。このイエスがわたしたちの指導者であり、王であり、平和の世界の完成者であると思います。このイエスの教えに従いつつ、それを伝えつつ、この世界の平和実現を待っていきたいと思っています。抑止力信者には信じがたいことかと思いますが・・・

みなさまの祝福を祈ります。