サムエル記下2章1節~3章1節
マタイによる福音書21章1~11節 
説教 平和の共同体の心得「私たちの王はイエス」

 トランプ氏がアメリカの大統領となりました。彼は不動産の富豪で3回結婚し、子どもが5人います。支持率40パーセントで国内で反トランプ派のあるなかでの就任でした。就任演説を聞きますとアメリカ第一主義を唱え、経済の立て直し、富と繁栄をアメリカにもたらすというような野心をもっているようです。
 ダビデは王となります(本日のサムエル記上)。ダビデは、羊飼いで竪琴の名演奏者でありましたが、戦術には長けていたようで、負け知らずです。また、8人の妻と10人の傍目がいたようです(サムエル記上下と歴代記3章参照)。子供も20人以上あったようです。
 英雄色を好むという事がありますが、その点、トランプ氏もダビデも似てるかもしれません。また、ダビデが王になったのはユダの地方でのことです。イスラエルの民はここで複雑な王制支配下になります。イスラエルの王はサウルの子イシュ・ボシェトとなっていきますが、ダビデがユダの一地方で王となったので、イスラエルの民には2人の王がいて、しかも、内部のユダ地方に王国が突如として現れたことになったのです。今のイラクにISができた如くの出来事だったと思います。内戦状態になっていくのです。
 さて、私たちの王、イエスキリストはどうだったか。本日の
マタイによる福音書には、イエスが王であることがゼカリヤ書9章
9-10節の引用でしめされています。そして、ロバに乗ってエルサレムに入ってくるというのです。何か滑稽で王らしくありません。30過ぎても妻もなく、子もない独身。姿は貧困者。その後、人からそれで神かと嘲られ、ローマ軍の軍隊に無抵抗なまま捕まり、十字架に掛けられて悲惨な死を遂げました。徹底的無抵抗、徹底的非暴力を貫いた方。このイエスが私たちの王でもあります。
 世では抑止力が必要だという事で軍備拡張に暇がありません。なぜかと聞きますと、そうしないと滅ぼされてしまうから、という回答のようです。しかし、私たちの主であり、王であるイエスはそれを甘受したのです。王イエスが十字架にかかったとは、そういうことです。「戦争には負けろ!」「争いには負けろ!」「負けろ、負けろ!」とイエスの十字架は言っているのではないでしょうか。神様は信じられないことを語り、実現してくれる方と私は思っています。私たちの王は、私たちに世の勢力に「負けろ」と言っていると私には受け止められます。「負けろ」というのは、「勝ち負けにはこだわるな、大事なのは愛し合う事だ、ただそれだけを行っていけ」という意味です。そこに平和が実現するのだともイエスが言っているように思います。
 さて、わたしたちは、そのことを信じることができるでしょうか?
 ここが大きな分かれ道ですね。

 みなさまの祝福を祈ります。