サムエル記下15章1節~19章44節
エフェソの信徒への手紙4章25節~5章5節
題:平和の共同体の心得「新しい生き方」

本日のサムエル記を読んでいますと、ダビデ王体制の危機が描かれています。その元が息子のアブサロムの反逆です。周到に計画された反逆が起こるのです。今でいうクーデターとか、反政府組織による内戦です。そこには陰謀あり、スパイあり、騙したり、裏切ったり、狡猾な戦略が沢山出てきます。このようなことが起こったら、ダビデは、家族も側近も家来も信用できなくなっていったに違いありません。家族同士は信頼できなくなり、側近も家来も信頼できない中での戦いでした。しかも、自分の息子と戦わなければいけない、そして、最終的には息子が殺害されてしまう悲惨な結末となります。

昨今のニュースをみても北朝鮮では家族の不和や争いや殺害、側近の粛清など驚かされることがあります。民族間の争い、宗教の違いによる争いは昔からありました。殺害に至らないにせよ、陰謀やスパイ、騙したり裏切ったりすることは人間の社会の中では日常茶飯事のことではないのでしょうか?ダビデが経験した悲惨さは現在の日本で私自身が経験することでもあるのでしょう。

一方、新約聖書になると、悲惨な生き方に対しての処方箋が書き記されています。本日のエフェソの信徒への手紙には、「あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。お互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。あなたがたは神の愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に捧げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい(4:30-5:2)」とあります。この段落のタイトルには「新しい生き方」とあります。

ちょっと神秘的な表現になって申し訳ありませんが、現実は闇と光が入り混じってる世界なのではないでしょうか。私の心を看破すれば闇は見えること、見えること。人には言えない闇もありますよ。これは悪魔、サタン。一方、信仰者として光を知りました。十戒やイエスのことば、本日の新約聖書の言葉も光でしょう。「新しい生き方」とはこの光の導きに歩む人間のことをいうのではないでしょうか。そして、平和の共同体にはこの「新しい生き方」が必要なのではないでしょうか。

主なる神様、闇を宿している私が、神の光、ことば、ご意志に導かれ、新しい生き方をしていくことができますように導いて下さい。

みなさまの祝福を祈ります。