聖書 サムエル記上1章1節~20節
   ルカによる福音書1章26節~38節
説教 平和の共同体の心得「神の与える恵み」

 今、私になぜ神様を信じるか、と問われましたら、人智を超える予想外の恵み(救い)を実際に自分に与えてくれるからと答えます。
 本日はサムエル記に入りました。サムエルは預言者(神のみ心を伝える人)となり、イスラエルの民の指導者になっていきます。イスラエルの民は神が王となり民を導く共同体を捨て、王政(周辺諸国と同様の軍事国家)を求めます。その時、主はサムエルに告げます。「民があなたに言うままに、彼らの声に聞き従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることと言えば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に聞き従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」(サムエル記8章7~9節)
 こうして、イスラエルの王サウルとダビデの物語がサムエル記に記されていきます。神としては人の王国とは不本意であったということです。こういうことを知ると何かほっとしますね。私も神の言いつけを守っているか、神だけを自分の拠り所としているかといえば、そうでもないからです。時には仕事であったり、お金であったり、時には家族であったり、時には知人であったり、主だけには頼っていないように思います。これも神様のみ旨なんだなどと理屈をつけてはみても、それを証明することはできないですから。

 最終的にイスラエルの王国はバビロニアに支配されてしまい、なくなってしまいます。人々はイエスラエルの神を信じる信仰者というユダヤ人として世界に離散する民となりました。国がなくても信仰によって共同体が形成されるようになっていったのです。旧約聖書に登場したカナン地域を征服した王国はことごとくこの世から消え去りました。バビロニアしかり、ペルシャしかり。しかし、イスラエルの民(ユダヤ人、ヘブライ人)は生き残り、キリスト教やイスラム教の母体とさえなっていくという奇跡を示しているように思います。
 本日の聖書の個所は、サムエルの誕生の奇跡(不妊のハンナからの誕生)とイエスの誕生の奇跡(処女マリアからの誕生)を物語っています。どちらもこの世に救い(苦しみや抑圧からの解放)をもたらすために神側から与えられた恵みです。
 ここ読むと、私自身、神に対して背いてしまう、神を裏切る自分であっても、苦しみや抑圧から解放してくれる神の恵みが現実の生活の中で経験できるという希望を与えられるのです。全人類に救いが与えられたのかもしれませんが、自分はどうなの?という問いに本日の聖書ははっきりと「そうだ!」と言ってくれている箇所なのです。
 信仰がやめられない理由はここにあります。これからも聖書と自分の経験から神からの恵みに気づいていきたいと思っています。

 みなさまの祝福を祈ります。