民数記7章1-11節 ルカによる福音書22章14-30節 主の捧げ物 民数記は、ヘブライ語聖書では、「荒れ野で」という書き出しになっているので、ユダヤ教では、荒れ野というタイトルになっているそうです。人口調査を神の指示で行った、民を数えたので民数記となったようです。数えられた民は、兵隊になることができた20歳以上の男子(603500人)と生後1か月以上のレビ人の男子(22000人)、イスラエルのすべての長子(22273人)、レビ人で30歳以上50歳以下(8530人)の人でした。 民数記には、エジプトを出たイスラエルの民が、シナイ山で十戒を授かってから39年間かけてカナンの地に入ったことが記されています。エジプトからカナンの地まで200キロくらいです。シナイ山からでも300キロくらいです。 数百キロの道のりを40年もかけて移動したイスラエルの民。そのなんと遅い歩みを民数記は紹介しています。神の業が聖書に記されていると思いますが、神ともにいながら、どうして、こんなに時間がかかるんだと、疑問に思わざるを得ません。 モーセが主人公となって登場する、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記ですが、出エジプトの内容はモーセの生い立ち、成長の書かれている1・2章を除けばたった1年ちょっとの話ですし、レビ記は1か月、申命記は34章を除けば、たった1日の話なそうです(浅見定雄の旧約聖書に強くなる本)。モーセに関わる話では民数記が一番長い年月なのですね。民数記には大きく3つに別れまして、10章までが、シナイ山を出発するまで(第2の月の話半月から20日くらい)、20章までがチンの荒れ野のカデシというところでのお話39年間、最後36章までがエリコに近いモアブの荒れ野(死海の東側)の話になります。 シナイ山からカナンまでのその39年の間、何をしていたかを知ることができます。さて、今日の聖書の箇所はシナイ山のところにイスラエルの民がいて出発の準備のときです。本日の箇所はイスラエルの指導者の捧げ物と題されているところです。 幕屋を建て終った日のことです。幕屋というのは、アロンの子らが祭司として捧げ物を神に捧げていたことろなのです。移動の際は分解して、レビ人と言われる一族の3家族が運びました。レビ人はアロンの子らの助手のような役割を担っていたような人でした。幕屋は、神殿のようなものでして、出エジプト記25章から幕屋の構造や組み立て方が、神の指示によって、書かれていて35章から実際に作ったということが書かれているのですが、祭壇があり、至聖所があり、幕があったり、祭具があったり、十戒が書かれたものが入っていると思われた契約の箱がおかれていました。天幕は神殿だったと思われます。そして、これをイスラエルが移動するに従い、分解して運び、組み立てていました。 7章1節にその幕屋が建て終り、聖別されたことが書かれています。そして、イスラエルの指導者、家系の長は進み出た、彼らは部族の長であり、登録にあたったものであったと書かれていますが、民数記の初めに、主が人口調査をするようにという指示が出るのですが、その担当だった人たちだったということです。 この幕屋は、捧げ物を捧げることろでした。 ここにはイスラエルの指導者たちの捧げ物について書かれています。3節から5節は6台の牛者と12頭の雄牛を捧げますが、これは、レビ人が幕屋を解体し荷物を積んで運ぶための移動用にレビ人に与えられたものです。それともう1種類の捧げ物は12部族の指導者が1日部族ごとに捧げた捧げ物、130シュケル(1.4キロちょっと)の銀の皿1枚(1シュケル11.3ℊ)、70シュケル(791ℊ)の銀の鉢、それぞれにオリーブ油を塗った上等の小麦粉がもってあったもの。香を塗った10シュケル(113ℊ)の金の柄杓。焼き尽くす捧げ物、贖罪の捧物、和解の捧げ物が上げられています。しかも、12部族、まったく同じ捧げ物が捧げられたとされています。これは主の捧げ物の指示に完璧なまでに従ったということです。さて、この民数記が編集され、書かれた時代はバビロン捕囚時あたりと言われています。つまり、イスラエルの民が国を失い、バビロンの植民地となったとき、所属がなくなって、捕虜となってしまったあたりに書かれたものだとされています。聖書を編集している人たちは、なぜ、自分の国がなくなってしまったのだろうか、ヤハウェ-の神はいったいどうして私たちを見離したのだろうか?なぜ、神は敵を滅ぼしてくれないのだろうかと、必死になって悔い改め、反省していたのではないでしょうか?自分たちが過ごしてきた歴史を振り返ってみたのだと思います。そうした中で、ある人が口伝えで指導者の捧げ物について今日の聖書にあるような部分を憶えていた、ああ、そういうことがあったのか、神の指示に従うべきだったんだな、こういうことを守らなかったから、神は私たちから国をうばったんではないか、神にの指示に従わなければならない、そうしないと、国が滅ぼされてしまい、われわれは捕らわれの身になるか、散らされるか、死んでしまう、と言う思い、また、神の指示に従えば、自分たちの国や共同体は安泰だろうという思いをもって、旧約聖書の編集者はそれを書き記したのだと思います。 さて、本日の新約聖書。ルカによる福音書には、イエスは給仕をする人だと書かれていることに、驚きを覚えるのです。イエスはここでは捧げ物を受ける側にではなく、捧げる側にいることです。支配する側ではなく、仕える側にいる。そして、それが、一番偉いもののすることだと語るのです。ここは、最後の晩餐での話の続きです。イエスは最後の晩餐で、パンを取り、これはあなたがたのために与えられる私の体である。と言い、杯を取り、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と言います。ここでは、なんと、主が捧げ物になって、捧げられることを言っているのです。民数記でいうなれば、小麦粉や若い雄牛、雄羊や小羊、雄山羊のようになるというのです。なんと、主が捧げる捧げ物、つまり、イエスの死、イエスの十字架が旧約の捧げ物の代わりになった、罪が赦されることになった、天の国へ入る祝福の道を、罪深い私たちは与えられた、ということを語っているのではないでしょうか。 この最後の晩餐には、イエスを裏切るイスカリオテのユダや鶏が鳴く前に3度イエスを知らないというペトロもいたのです。そこで、イエスは「あなたがたは、わたしが種々の試練にあったとき、絶えず、私と一緒に踏みとどまってくれた。だから,神の国で一緒に食事をし、王座に座ってイスラエルの12部族を治めることになる」と語っています。これはイスカリオテのユダやペトロにも語っていることなのです。これは、驚きではないでしょうか?イスカリオテのユダは自分の罪を認め自殺します。ペテロはイエスを知らないといったペトロは泣いて自分の罪を認め、イエスの弟子として生きて行きました。イエスは自殺したユダにも生きて弟子になったペテロにも、同じことばを「王座に座る」ということを話したのです。 天の国に行く、王座にすわる、などというものは実際行ってみないと分からないものと思いますが、ここまで言って下さる、イエスに、感謝せずにはいられません。 ある栄養士が言っていました。献立作りながら、今月、私をお捧げしますと。 そうですよね、自分の暮らしの場で見回せば、お捧げすることってたくさんあるんじゃないでしょうか?仕事でも介護でももちろん教会の礼拝でも。主の捧げ物を受けている私たちも日々の些細なことにでも自分自身を捧げる者でありたいものです。