民数記 4章1―49節(1-14節) ヨハネによる福音書14章1-14節 説教 平和の共同体の心得「私たちはどこへ向かうのか」 讃美歌 498 192 505 エジプトを出たイスラエルの民はカナンへ向かっていますが、幕屋(神殿が納められている小屋)も一緒に移動していきます。その幕屋の分解の仕方や荷造りの仕方、荷物の運び係が示されています。神様の神殿を必ず伴って移動していたのです。ヨハネによる福音書にはイエスは父に至る道と紹介されています。わたしたちはどこに向かうのでしょうか?エジプトからカナンへ向かうとはどういうことなのでしょうか? エジプトからカナンへ向かう、旅路は人々の歩みの一つと考えられます。人がどういう人間になるかということには多様性があると思います。神はそうい中にあって、「父に至る道」を万人に示していると思います。 さて、「父に至る道」、「父」とは何でしょう?わたしはそれを“to be”であると思っています。“to be”とは「あるということ」。これは“to have”「持つということ」に対立する概念です(エーリッヒフロム著『生きるということ』)。財産や地位や名誉を得ることを目的とした生き方を“to have(持つ様式)”と言い、愛するとか、集中するとか、美しいと思うとか、悲しいと思うとか、そういうことに価値を見出す生き方を“to be(ある様式)”と言っています。 ゆえに、旧約聖書のエジプトを出た、出ないにかかわらず、重要なことは神と共にいること、なのであって、ある国民が国家を樹立したり、国家の財力や他国への支配力をつけることではない、ということを本日の聖書の箇所から見出すことができます。 ルソーは何のために教育するかという問いに、「謙虚」「寛容」「寛大」になるためだ、と彼の著書『エミール』で答えています。「謙虚」「寛容」「寛大」もto be に入ると思います。神は「愛」「平和」とも置き換えられるようですから、われわれはどこへ向かうのか、という問いには、”LOVE AND PEACE”という回答になるのでしょう。 皆様の祝福をお祈りします。