民数記35章1~8節、マルコによる福音書2章13節~17節

逃れの町

最近、イスラム国という国ができて、アメリカなどから壊滅宣言されています。イスラム国ですから、イスラム教、旧約聖書を使っており、私たち、キリスト教徒も同様の旧約聖書を用いているというのに、殺し合いをするということは、なんという悲しいことなんだろうと思ってしまいます。まず、テロはやめて、旧約聖書の勉強会をやろうではありませんか、とお誘いしたいと私は思っています。

本日は、民数記ですが、民数記というのは、出エジプトの40年を記している書なんです。出エジプト記では、モーセの生い立ちを除けば、1年足らず、レビ記は1月くらい、申命記は34章を除けば、たった1日分のことなんです。ですから、出エジプトという旅の内容を知るには民数記が必要なんですね。民数記という名前がミスマッチですね。出エジプト後40年の旅路、みたいにするとよかったかもしれませんね。兵役の民を数えたということが、40年の始まりと終わりでなされっているんです。それで民数記とされたといわれていますが、はじめに数えられた60万近くの人で、40年後まで生きていたのがヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブの2人だけだったんですね。

今日の民数記は、レビ人の土地と逃れの土地について書かれています。レビ人とは祭司職の手伝いです。祭儀の段取りや準備などをしていました。今で言うサービス業ですね。また、殺人をしたと訴えられた人々をむげに罰するのではなく、丁寧に状況を理解し、なぜ、殺害にいたったのか、故意か事故か、などを判断し、できるだけ、生きることができるようにと考えて決められたものだと思います。これが逃れの土地なのですが、レビが管理しているような土地であったと思われます。このように、サービス業とか、罪びとと疑われた人なぢお、生産性に直接関わらないような人々でも、共に生きるように配慮する社会形成をしているように見え、平和な共同体を考える上でとても参考になります。

金井美彦という旧約聖書学者がおりますが、彼はイザヤ書(新約聖書にもっとも多く引用されている)から、世界から見放される存在、捕囚時のイスラエルの民は、そのことの理由で神から選ばれる(もっとも貧弱な民)が、しかし、世が見捨てるようにしているが、実はそのことが、世を救っているのだ、という逆説的なことを語っています。お前など、役に立たない、いて貰って困る、と存在を否定さる、そういうものこそ、実は世を救う、存在であるということを、イザヤ書編集者の中に見出しています。

わたしは言語聴覚士というリハビリ関係の仕事をしていますが、言語障碍になった方々とうまくコミュニケーションしようとして身振り手振り、前後関係、生活を共にし、良く観察する方法を身につけることができることも、ある意味、欠陥があるように見える者から与えられる学び、救いでもあります。言語障碍者とお付き合いできることはとても感動することなんですよ。まるで外国人と会話できるような喜びがあるんですね。

昨日ですね。「気仙沼の発達支援を考える会」という会を立ち上げました。これは地元の人のゆっくりな発達のお子さんや家族の理想的な支援の環境について広くみんなで考えていこうとするものです。代表に気仙沼市立本吉病院院長がなり、私が庶務、それから企画・運営に施設職員や相談センターの職員がなってくださいました。勉強会や話し合い報告書つくりをします。この会、地元の新聞に載せたら、2つの反響があったんです。まず、飛びついて来たのが、言葉の問題を持ったご家族、民間施設施設職員等です。そして、迷惑がったのが、県立支援学校の教頭、市の上司職員らしくて、これはいったい何の会なんだと、関わろうとしていた支援学校教員や市の保健師が問い詰められて、県立支援学校として関わらない、市の事業としては関わらない、ということをはっきりさせるのにやっきになれていたということです。なんだろうとおもっていましたけど。そういうもんなんですね。しかし、この会を模様していらしたのが発達に問題をお持ちの家族なんではないか!それだけニーズがあったんだということではないかと思い、行く場所なくて困っている人人の逃れの場なんじゃないかと思ったりしています。

弱さから、弱さを思いやる気持ちを理解できたり、病気を経験することで、病人を気遣う思いややさしさが深まることもあります。
一見、マイナスに見えることから、実は人が生きるには重要な糧、事柄に成りうることがあるということを聖書は語っているといってもよいかもしれません。

逃れの町も、一見、同じ共同体から、排除される人でも、本当に排除してよいかどうか、十分検討してみてはどうか?という検討の場です。
私たちの暮らしの場にこの逃れの場があるかどうかこれが平和な共同体を形成する上では重要だと思います。裁きを人がするには限界があります。そこで逃れの場にいったん罪を犯した人を逃れさせ、最終的審判を待つ。イエスの行動は逃れの町作りだったようにも思われます。今日のマルコによる福音書は、イエスが社会的に嫌われ者の徴税人や罪人と言われる人たちと一緒に食事をされているのを当時の庶民の暮らしの主流の権威者リーダーが「なぜ、イエスは徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言いました。イエスは「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人である。わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と語ります。イエスは世の中から見捨てられるような人々の暮らしを保障していったのではないでしょうか。
そうした暮らしがこの世に必要なこと、イエスが求めていたこと、聖書から伺えることです。

その人が罪かどうかを決めるのは神しかできない。そういう思想の元、聖書が書かれ、イエスも行動していったのだと思います。

私たちの暮らしの場に逃れの町を作る、逃れの場を作る、教会もまたそういう場であるでしょうし、私たちの関係の中にもどこか罪を赦す場をもって暮らすこと、また、自分自身の心の中に自分の罪を赦す、保留にしたりする、逃れの場を創っておくことも、御心なのかもしれませんね。

お祈りします。