聖書 ネヘミヤ記7章1~19節
   ルカによる福音書17章20~21節
説教 平和の共同体の心得「私たちの間にある神の国」

聖書学者の月本昭男氏によると、全盛を極めたイスラエルの王国は、当時の周辺のアッシリア王国、バビロニア王国、エジプト王国などに比し、弱小であったと述べています。この弱小国家のイスラエルの民がアッシリアに征服され、バビロニアにも征服され、エルサレムの神殿が崩壊され、他国に都合の良い優秀な一部の民がバビロンなどへの捕囚民とされつつも(BC597年からBC538年)、イスラエルの神ヤハウエイへの信仰を失わなかったのは、ヤハウエイが全世界の人々の神、メシア(救い主)、支配者となるという思想を有していたからであろうと語っています。それは律法を守ることで実現し、エルサレムでの神殿での祭儀が不可欠だと、条件だと考えていたからなのだと思います。バビロニアからペルシャの支配に代わると宗教に寛容なペルシャの王は国内の民族宗教を認める政策を取っていき、ユダヤ教もエルサレムに神殿を再建し、礼拝や祭儀を行うことを許されるようになりました。BC538年、第1回目の帰還には42,360人のイスラエルの民がエルサレムに帰還しました。捕囚が始まり50年以上経っていますので、バビロン周辺に住み着いてしまうユダや人信仰者(おそらく国家つくりに有能な人々)もいました。初めの帰還民は神殿は再建したものの、エルサレムは内外の民との軋轢があったようで、「大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています」とネヘミヤの兄弟のは何がネヘミヤに訴えています。生活が苦しかったようです。ネヘミヤはその統治機構の組織造りの改善に取り掛かっていくことになります。それが本日のネヘミア記7章です。帰還者の名簿を見つけ、どこにだれがいるか一人残らずピックアップします。その総勢が42,360人、男女の使用人7,337人、男女の詠唱者24人、さらに、らくだ435頭、ろばが6,720頭まで調べ上げました。ネヘミヤは経済的支援も行い、金1,000ドラメク(今で約10億円)、供え物用の器50個、祭司の衣服530着を自ら寄付し、民も寄付をして経済的にも組織改革に努めました。この組織改革には、軍事が含まれていないことに注目したいです。あくまでもヤハウエイの神に対する礼拝と祭儀を行うために組織改革が行われ、らしかもそれがそれぞれの自主的な意志で行われたということに注目したいです。おそらく協力したくない人は協力しなくてよかったのでしょう。こうして、帰還した民は、救い主(メシア=キリスト)の支配する神の国の実現を期待していたのでしょう。

イエスの時代になると、今日の聖書の個所では、イエスは神の国について以下のように述べます。「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言うものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」これは神の地上の国家(組織)ではなく、一人一人の間にすでに到来しているものだということでしょう。親切にし合うとか、大切にし合うとか、許し合うとか、悔改め合うとか、そういう状態に神の国をみるのかなあと思います。

ユダヤ人は西暦63年支配されていたローマ帝国から独立しようとしで軍事攻撃を行いましたが、70年エルサレムの神殿は崩壊して、エルサレムは陥落してしまいます。神の国は目に見える国家ではない。人と人の間にある愛だ。それを神は与えているのだから、人と人の間にある愛を信じていきなさい。奇跡と神秘をもってそうするから、人と人の間にある愛を信じなさいというメッセージを本日の聖書の個所から受けました。

みなさんの祝福を祈ります。