聖書 ネヘミヤ記2章1~20節
   ルカによる福音書18章31~34節
説教 平和の共同体の心得「不幸が幸いになる」

本日のネヘミヤ記には、破壊されたエルサレムの神殿の城壁をみてネヘミヤが語る言葉が描かれています。「ご覧の通り、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を立て直そうではないか。そうすればもう恥ずかしいことはない」。ネヘミヤのこの言葉は神によって成し遂げられる訳です。

本日のルカによる福音書にはイエスが自分の死と復活について語る場面が描かれています。「今、わたしはエルサレムに上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は3日目に復活する」まさしく、死という不幸が生という幸いへ変わるという預言だと思います。

神様のなさること。それは、不幸を幸いにすることではないでしょうか。現実がどんなに不幸でも神が介入することで幸いになる。聖書はそう語っていると私は受け止めています。

以下にアッシジのフランチェスコの平和の祈りを捧げます。神と共に歩めば必ず叶うと信じています。

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。

皆様の祝福を祈ります。