マタイによる福音書24:36-44 準備が大切

わたし達が暮しの中で、大切なこととは何かと考えると、準備することが大切だと言うことが分かります。
衣,食、住を考えてみましても、日々準備していますね。
最近は寒いといわれていますから、温かい服を用意したり、ジャケットを用意したりします。洗濯もして、清潔な服をキレことが出来るようにしているあけです。3度の食事もメニューを考え、材料をお店で買わないといけませんね。住むにも、家やアパートなど、雨風をしのげるところが、なければいけないわけですし、暖房のために、灯油を準備したり、風呂の準備をしたり、寝る準備をしたりするわけですね。

こう考えますと、暮らしには必ず、準備が伴っていることが分かります。そして、暮らしがうまくいか、いかないかは、準備がうまくいくか、いかないかで、ほとんどが、きまってしまうということも、理解できると思います。

さて、本日の聖書の箇所は、“準備”のことを話しています。何の準備かといいますと、終わりの時の準備です。この朽ちるからだが、朽ちない体に変わるための準備です。永遠の命に生まれ変わるための準備です。天国へはいるための準備です。その準備をしていなさい。ということです。

本日の聖書の箇所をもう一度読んでみましょう。
「その日、その時はだれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。人の子がくるのはノアのときと同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲ってきて一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子がくる場合にも、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼を引いていれば一人は連れて行かれ、一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰ってこられるか、あなたがたは分からないからである。このようなことをわきまえていなさい。家の主人は泥棒が夜のいつかやってくるか知っていたら、目を覚ましていて、みすみす、自分の家に押入れはしないだろう。だからあなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。

さて、ここで、わたし達はどういうふうにして待っていなくてはならないといっているのでしょうか。
聖書には盗人のようにやってくると書かれています。いつ来るか分からないのですね。ノアの箱舟を作り、家族と鳥とか獣とか動物もすべて2対ずつ、大きな箱舟に入れました。7日後に洪水は起こり、40日40夜洪水が生じて、箱舟の外にいる人々はすべて、滅びてしまいました。
さて、わたし達はどうやって待っているとよいのでしょうか。
ノアの箱舟の時代のように、めとったり、とついだり、飲んだり、食べたりしていていいのでしょうか。現代、箱舟を作るとはどういうことなのでしょうか。

その再臨の町方については、以下、忠実な僕と悪い僕、10人の乙女、タラントの譬、など載っていますが、最後の箇所に、どういうものが天国へ生けるかが示されています。飢えている人に食べ物をやり、のどが渇いているものに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気の時に見舞い、牢にいたときに尋ねてきてくれたからだ。
とありますように、困っている人や、社会的に周辺に追いやられている人と共に生きるということをしていくこと、
これが再臨をまつ準備であると思います。

しかし、そのやり方は、それぞれ、一人一人にやり方があり、同じ方法ではない。一人一人違ったことになるだろうとも、本日の聖書の箇所は話しているようです。むしろ、そういうような、意識で、気持ちで、いなさいということでしょう。目覚めよとは意識せよ、というようにも読めると思います。

イエスの再臨の準備、これは弱者や社会的弱者と共に暮らすことを意識していること、そういう暮らしを破壊しないことが、天国へ招かれるということを示しているようにとらえることができます。マタイによる福音書に気になるところがあります。7章21節-23節「わたしに向かって、『主よ、主よ』という者がみな、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」

信仰者への警告を本日の聖書の箇所から見出せます。ある宗教団体への加入が救いとなるわけではないということです。天の父に最終的に全人類が救われる準備、つまり、再臨の準備とは、天の父に御心を行うこと。弱者への思いを抱いて暮らすことである事を覚えておきたいと思います。

祈ります。


ぜひ、この準備に加わっていきたい者です。