旧約聖書: レビ記 第16章1-34節(1-2節) 新約聖書: ヘブライ人への手紙 第9章1-14節(11-14節) 『平和の共同体の心得』贖罪すること 贖罪(罪の赦し)ということが、聖書を通していたるところにみられます。創世記のアダムとイブの中央の知識を知る木から果実を食べて以来、イエスの十字架まで、聖書には贖罪ということをテーマに罪人である人間がこの世とあの世に生きていくために必要な糧の中心的なこととして伝えていることのようにも思います。呼吸すること、食べること、休むこと、と同じように罪を赦してもらう事が、人が生きる道の基礎としてあるかのように思われます。 レビ記16章には贖罪日という日が書かれています。この日は、年に一度行う、祭司と民全会衆のための贖いの儀式の日とされ、第7の月の10日に行われ、全員が安息日として仕事を休み、苦行をすることにされていました。毎年行われる日とされました。贖罪は日頃の天幕での礼拝でも贖罪の捧物が捧げられていましたが、さらに、このような贖罪の儀式を行うことは、いかに贖罪が我々人間にとって大事なのかを意識つけ、継続させていくことの重要性を人に示しているように思われます。 このようなことから考えると人間は、生きるにおいて、罪を犯すような性質をもち、それを贖罪することが神から与えられた道であるということになりましょう。これは私の暮らしを顧みるとまことにそうだと思わざるを得ません。罪を犯し、悔い改める、その繰り返しが自分の人生であると思います。 ヘブライ人への手紙9章にはイエスキリストが永遠の贖いをしてくださったことが書かれています。つまり、罪の贖いの捧げ物も、年に一度の贖罪日の儀式も必要なくなったことが書かれています。 さて、ならば、私たちは何をなしていったらいいのでしょうか?ヘブライ人への手紙10章21節~25節には「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださった方は真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。互いに愛と善行に励むように心がけ、 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」とあります。 愛と善行に励むように心がける、ということですね。 愛と善行、これについては、ヘブライ人への手紙13章1節から19節から抜き出してみます。 ・兄弟としていつも愛し合いなさい。 ・旅人をもてなすことを忘れてはなりません。 ・自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれてる人たちを思いやり、また自分も体をもって生きているのですから、虐待されている人たちのことを思い遣りなさい。結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはいけません。淫らな行いや姦淫するものを神は裁く。 ・金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。(神が守ってくれると信頼しているからこそ) ・あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見習いなさい。 ・イエス・キリストは昨日も今日もまた永遠に代わることのない方です。色々な異なった教えに惑わされないようにしましょう。 ・善い行いと施しを忘れないでください。(このような生贄こそ神は喜ばれる) ・指導者たちのいう事を聞き入れ、服従しなさい。 こういうことになります。日々の自分の暮らしに照らし合わせ、思うことはありますでしょうか?何かしらありましたら、どうぞ、参考になさっていただきたいと思います。私にもたくさん参考になる部分がありました。暮らしの中で少しでも実践していきたいものです。 祈ります。