列王記下 9章1節~10章34節
ルカによる福音書1章26~38節
説教 平和の共同体の心得「イエスの支配は終わらず」

北朝鮮の金氏や日本の安倍氏、アメリカのトランプ氏などテレビで見ていると、核兵器を含む軍備や軍隊の準備など防衛のためだけでも問題山積み、産業、経済、教育、医療、福祉などまでになると問題ありすぎで大変だなあと思います。そんな苦労をしてまでよく支配者になりたがるものだと私は思っています。

本日の旧約聖書の列王記下9章と10章は、イエフのクーデターの記事です。北イスラエルのヨラム王とユダの王アハズヤは殺害され、ヨラム王の父アハブ家一族が粛清されました。しかも、この殺戮は預言者エリシャとの協働(エリシャの指示でイエフは王とされると預言され、王となる油注ぎの儀式をエリシャの預言者グループの一人から受けます)でなされたのです。さらにバールの神の信仰者はすべて抹殺されます。ひどいことに、北イスラエルの王ヨラムの母イザベルの死は預言者エリアの預言『イゼベルは犬の群れの餌食になる』という言葉が成就したと記されています。このクーデターは軍事と政治と宗教の競合した結果生じたこととして捉えられます。ここで主はイエフに言います。「あなたはわたしの目にかなう正しいことをよく成し遂げ、わたしの心にあったことをことごとくアハブの家に対して行った。それゆえ、あなたの子孫は4代にわたってイスラエルの王座につく。」という具合に出てきます。「汝殺すなかれ」を含む十戒を与えた主がいう言葉とは思えません。明らかにここは暴力で権力を奪うことに対する正当化を神や信仰、宗教を使って行った聖書編集者の思想の表現と受け止めるとよいと私は思っています。ISのテロもこうした聖書の個所を用いれば正当化できます。しかし、神は十戒を与えたことを忘れてはいけません。十戒は神の言葉で、今回のような殺戮の肯定は聖書編集者の言葉だと理解しないと危険だと私は思います。本日の聖書でも10章32節には「このころから、主はイスラエルを衰退に向かわせた」という記載があり、殺戮を含むクーデターは国家を衰退させることを暗に示しているようです。ホセア書1章4節にはイエフの流血は間違いだという意味の預言もあります。聖書は広く読まないと暴力の強化装置と化します。聖書の暴力の表現には注意しましょう。神は非暴力であるという見方が正しいと思います。

本日のルカ福音書はイエスの誕生の予告です。
マリアへの天使の受胎告知の場面です。天使は言います。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は彼にダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブ(イスラエルの民)の家を治め、その支配は終わることがない。」(ルカ1:30-33)。マリアは聖霊によって身ごもります。ユダヤの社会では系図が重要になってきます。イエスの系図は父方が聖霊となります。ダビデの子孫かどうかは疑わしくなります。しかし、天使はイエスをダビデの王座につく王だと言うのです。当時のユダヤ人らは救い主を求めていました。ローマ帝国に支配されているユダヤ人はローマ帝国の支配から解放してくれる特に軍事に長けた優れてるダビデ王のような王を救い主として待ち望んでいました。まるで今の私たちが北朝鮮の金氏や安倍政権やトランプ氏に代わって平和を実現する優れた政治家を求めるが如くに待ち望んでいたのかもしれません。しかし、系図も定かではない、育ちはナザレというよいものは出ないと言われている田舎、病人や障碍者や罪人と言った社会的に排除されている方々と深く交わり、愛し合うようにすべての人に教え、この世の最後は十字架に掛けられ罪人として葬られたイエス。これが私たちの王だと聖書は言うのです。イエスがダビデ王に代わる私たちの支配者でその支配は永遠だと言うのです。

今の北朝鮮の金氏の支配は6年足らず、安倍氏の支配は5年足らず、トランプ氏にあっては1年に満たない状態です。イエスキリストはどうでしょうか?少なくとも2000年はイエスの支配は続いていると言えます。しかも、その範囲は国や地域や人種や民族など人の差別区別を越えて全人類の支配者としての座についているように私には思われます。イエスを支配者として私たちが迎えているので、軍事や武器や殺戮など破壊行動にしがみつく金氏や安倍氏やトランプ氏になんでそんなにしてまで支配者になりたいのかと思うのかもしれません。ぜひ、彼らにもイエスを支配者として迎えて欲しいです。そうしたら、どんなにか気が休まることでしょうね。

イエスの支配は終わりません。支配者救い主として迎えましょう。

みなさまの祝福を祈ります。