列王記下23章31節~24章20 節、マルコによる福音書11章
1~11節
説教 平和の共同体の心得「リーダーはイエス」

列王記も最後の方になってきました。ユダはバビロニアに占領され、軍人や職人などは捕囚となっていきます。ユダの王20人の中で主の目に正しいことをした王はヒゼキヤとヨシアの2人しかいませんでした。北イスラエルの王19人には一人もいません。北イスラエルやユダが滅ばされる原因は主の目に正しいことをしないからだということですが、ダビデ王が王位となって約400年続いた訳ですから、今のアメリカより長く続いた、周辺諸国と比べてもそれなりに自負できた国家ではないかと思います(王の在位期間最短7日の北イスラエルのジムリから最長55年の南ユダのマナセ。王の平均在位年数は北イスラエル12年、南ユダ18年)。王としても十戒や律法にのみ頼るのではなく、現実的に周辺の強国と同盟を結んだり、異教の神を取り入れ異教の民の力を得ることだってあったことでしょう。王はそれなりに当時の周辺諸国に並ぶ国家組織の維持管理には長けた面があったと思います。もちろん支持者もいたはずです。彼ら王たちはイスラエルの民を導くリーダーであったことには間違いありません。

私は、イエスを私のリーダー、頼りがいのある王としています。国の総理大臣や天皇を私のリーダーとは思っていません。天才も私のリーダーではありません。財力ある人も有名な人も私のリーダーではありません。イエスなのです。そのイエスの王としての姿が本日のマルコ福音書にあります。子ロバに乗ったイエス。なんとも弱々しいリーダー、王でありましょうか。人々はそのイエスに向かって「ホサナ(どうか、救ってください)‼」と叫びます。イザヤ書には、救い主の姿を「苦難の僕」として52章13節から53章12節に記しています。自分たちが救われたと思って生きているのは、病を負った人や見る影もなく小さくなった人や苦しんで生きていた人がいたからなのだと語っています。元気なみんなの代わりに病や苦悩を負っている人々。その人々こそ、元気な人の身代わりとなった救い主なのだということをここでは語っているかのようです。救い主は、弱さの極みにある、そうとでも言いたげですね。弱者は私のリーダー。
弱い人の声に耳を傾けていきたいものです。

皆様の祝福を祈ります。