聖書 列王記上4章~10章、マルコによる福音書11章22~25節

平和の共同体の心得「祈り求める」

 本日の列王記にはソロモンの統治と繁栄が描かれています。しかも、平和でありました。周辺の国々とも平和的外交が交わされ、知恵者として知れ渡っているソロモンにシェバの女王の来訪にも遭い、その知恵を試されソロモンは完璧な答えをしてシェバの女王を感服させたことも逸話として出てきます。更にソロモンは神殿を建築し、捧げ物を多く捧げ、神に対して祈りを捧げます。ソロモンの王国は政治的、軍事的、経済的、文化的、学問的、宗教的に非の打ちどころのない完成度だったようです。ソロモンにとっては何一つ思い通りにならないことはなかったと思います。羨ましいといえば羨ましいですが、虚しさをテーマにしたコへレトの言葉をソロモンであるとの説もあり、なんでも得ることができたソロモンが満ちたいていたかというとそうでもなさそうです。ソロモンは徐々に神の戒めから離れていってしまうのです。どうしてかと思ってしまいます。出エジプとから500年経って念願の理想堤な王国をついに手に入れたというに。

 一方、本日のマルコの福音書のイエスの言葉は次のような言葉です。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言う通りになると信じるならば、その通りになる。だから、言っておく。祈り求めるものは既に得られたと信じなさい。そうすればその通りになる。(マルコ11:21~24)」

イエスはここで神を信じることを勧め、そのために祈ることを勧めているのではないでしょうか。しかも、どのような祈りでもよいのです。これはありがたいことです。イエスはここで祈る暮らしを勧めているのではないでしょうか?祈りは必ず聴かれ、叶うのです。素晴らしいことです。

本日は日本基督教団では「部落解放を覚えて祈る日」となっています。部落解放も含め、全ての差別がなくなり、すべての人が抑圧や虐げから解放されますように祈りましょう。もちろん、平和実現のためにも、地震や豪雨や自然災害で苦しんでいる方々の救援のためにも、病んでいる人の癒しのためにも、まずしい方々が経済的に満たされていくためにも祈りましょう。そのほか、それぞれ心に思う事をお祈りとして捧げていきましょう。必ず、叶うというイエスの言葉を信じて。

人間は欲しいものがあった方が全部与えられてしまった時より、生き生きとしているのかもしれません。イエスはそういうことも知っていたので、なんでも祈れ、と言っているのかもしれません。祈り求める暮らしは生き生きとした充実した気持ちになるのではないでしょうか。そして、叶うというのですから、この暮らしはやめられなませんね。気を付けるとすれば、祈りが叶ったあと、神様に祈らなくなることでしょうね。

みなさまの祝福を祈ります。