聖書 列王記上1章1節~53節、ルカによる福音書12章29節~34節
説教 平和の共同体の心得「神の国を目指す」

 本日から列王記に入ります。列王記にはダビデ王以降のイスラエルの王国の王について記されています。最終的にイスラエルの王国は滅ぼされてしまいます。軍事・経済国家の行く末は滅びであるということを聖書は伝えているように私は受け取っています。さて、ならば、われわれはどんな国、共同体を目指すべきかを本日の聖書から伺いみたいと思います。(列王記に限らず、旧約聖書にはイスラエルの民の家族や一族、国家等の共同体の興亡の歴史を示しつつ、その中の色々なところに平和の共同体形成のヒントや心得を見出すことができると私は思っています。)本日の列王記1章にはダビデ王の後継者騒動が描かれています。ダビデの息子(第4王子でソロモンの腹違いの兄)アドニヤは自分こそ王に相応しいと思いあがって王になろうと兵や軍備を用意し、謀反を計画します。しかし、預言者ナタンはその企てを知ります。ナタンは神がダビデの次に王とするのはソロモンであるということを知っていましたから、ソロモンの母バト・シェバと王ダビデに進言します。それを聞き、王ダビデはソロモンを次の王と任命しました。さて、王権を奪おうとしたアドニヤは赦しを請いました。そうしたら、ソロモンから赦されるという結末に落ち着いたのです。王の継承について神の指示に従った場合、平和になる、というメッセージを私はこの個所から受けます。

 では、神が私たちに目指すように命じる国、共同体とはどのような共同体なのでしょうか?その回答が本日のルカ福音書に示されています。「ただ、神の国を求めなさい。そうすればこれらのもの(命に必要なものを)加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい(ルカ12:31-33)」とあります。神の国は施しの必要な人に施すことによってなされる共同体です。軍事国家ではありません。経済的に困っている国に支援する国家でしょう。国家レベルでなくても神の国は実現します。家庭でも経済的に必要な人に経済力がある人が支援しているなら、その家庭は神の国といえると思います。「施し」は経済的なことだけではありません。それぞれ持っている弱さや欠けや罪を支え合う、補い合う、赦し合う、そういうことが生じていればそこはすでに神の国だと思います。そして、この神の国は滅びることはなく、永遠に続くことでしょう。

神の国を目指して暮らしていましょう。

みなさまの祝福を祈ります。