2017年7月29日の礼拝メッセージです。

列王記上13章1~10節
ガラテヤの信徒への手紙1章6~10節
説教 平和の共同体の心得「キリストの恵みから離れない」

キリストの恵みとはいったい何でしょうか?
神の言いつけを守っていったときのこの世で起きる奇跡といってもいいかもしれません。私ごとを言えば、「すべてを捨てて私に従え。あなたを牧師にする。雪の降り積もることころに遣わす」という神の言葉を聞きました。ですから、私はここにいつも立ち返るのです。
そうして暮らしてきた20年。不思議に牧師の仕事も切れることなく続き、経済的副業としての仕事も与えられ、88歳の母は元気、礼拝にもこうして今日は4名集まってくださっていますこと、これをキリストの恵みと言わないでなんといいましょうか?

さて、本日の列王記は、ベテルへの呪いと題がつけられた個所です。ここでは、イスラエル王国がソロモンの息子のレハブアムに継承されましたが、民に思い軛(重税と重労働)を課したため、ヤロブアムという者が北イスラエルの王として立ち、ユダを除く10部族がヤロブアム側につき、一つのイスラエル王国が南のユダ(王はレハブアム)の地方と北の北イスラエルに分裂した状態での物語が描かれています。本日の話は無名の神の人の話です。この神の人は預言者なのですが、北イスラエルのヤロブアムの誤った信仰を質しに来たのです。ヤロブアムは祭壇を築きますが、そこには金の子牛を置きました。それは、民がユダの地方にあるエルサレムの神殿に行って礼拝をしないようにするためでした。レハブアムに加担する者が出るのを恐れたためです。ですから、北イスラエルは、十戒を中心とするイスラエルの神から離れていきました。神の人はこれらの誤った信仰の結果は滅びだと訴えます。ヤロブアムは神の人を捕まえようと手を伸ばしましたら手が萎えてしまいました。困ったヤロブアムは神の人に癒されるように祈ってくれと頼みました。神の人が祈ると萎えた手が癒されたというのです。ここはフィクションのような印象を受けます。列王記上13章は奇想天外な寓話とか童話みたいな展開があり、文学作品として読むには面白いです(この個所を創作とする研究者もいるとのこと。日本基督教団出版局新共同訳旧約聖書注解Ⅰp613)神の人はヤロブアムらの信仰の過ちを指摘するだけではなく、神様から、「パンを食べるな、水を飲むな、行くときに通った道に戻ってはならない」と戒められていました。そして、老預言者が神の人を騙して食事を提供してしまったのです。そうしたら神の人は獅子に襲われ殺されてしまいました。神の言葉や指示は十戒という万人共通の大元はありますが、一人一人に与えられている神の言葉もあり、それも具体的暮らしの中で実践するとき、
一人ひとりは生き続け、守らない場合は死に至る道となるということを聖書編集者は読者に印象つけようとしているようです。

十戒を中心とした神のことばが本当の福音であって、それに反すると上手くいかず、滅びの道を歩むことになりましょう。本日のガラテヤ信徒の手紙ではキリストの福音から離れることのないように勧めています。そうです。離れたら滅びの道行きですから。

聖書に親しんだり、御心に適った人に出会ったり、交わったりする中で、神様が自分に語りかけてくれているメッセージを捕えることができるのではないでしょうか。そのメッセージに従っていきましょう。きっと、恵み多い奇跡を体験できると思います。

みなさまの祝福を祈ります。