聖書 士師記9章1~56節
ローマの信徒への手紙12章9~21節
説教 平和の共同体の心得「復讐はしない」
リベンジという言葉が使われて流行語にもなりました。このリベンジと言う意味は「復讐」という意味です。この復讐、やられたらやり返すという考え方は、良きにつけ、悪しきにつけ、世の中には当然のこととして受け入れられている思想です。
四十七士の仇討ちは江戸時代。元禄15年1703年といわれていますから400年以上の前のことです。今でも藩主に忠誠を誓い果たしたと褒めたたえられ、美談として語り告げられていますように、復讐も日本国民に受け入れられていることがあります。
歯には歯を、目には目を、という同じくらいのダメージを相手に与えることが出来るという復讐は古代イスラエルでは、律法で決められていましたし、現在では、世界中の国々で刑法があって違法行為に対する罰則が決められており、ある意味、復讐は、国家でも(言葉は復讐とは通常使いません。合法的な刑罰とか言われるでしょうか)許されていることのようです。本日の士師記にはイスラエルの民の兄弟殺しと報復行為が神によってなされたことが書かれており、本日のローマの信徒への手紙には復讐はするな、復讐は神に任せよというパウロの言葉が書かれています。
神の言葉、イエスの言葉は常識的な復讐や報復、合法的な刑罰であったとても、復讐・報復・刑罰に対しては意外なことを語っているようです。「復讐はするな(レビ記18章19節等)」「神に任せよ」と。旧約聖書でも新約聖書でもこのような言葉はあるのです。
復讐しても、呪っても、罰が当たったとしても、刑罰を受けたとしても、犯した罪は消えることがありません。被害者の憎しみが無くなるわけでもないでしょう。不幸が増えるだけなのではないかと思います。復讐は神がしてくれる、神に任せよ、といいますが、私はそれ以上の良いことを神はしてくれると思っています。それに、復讐できない弱い人(こういう人は加害者への憎しみと復讐できない自分の不甲斐なさに自己嫌悪が大きくなり、苦悩は更に大きいのではないでしょうか?)でも、神が復讐以上の良いことをしてくれると思うことで、何か救われる気持ちになるのではないでしょうか?
神は復讐したくてうずうずしてる私たちに「復讐はよしなさい、神に任せなさい」と囁いているようです。
みなさまの祝福を祈ります。