士師記4章1節~5章31節 マルコ14章3~9節 主に用いられるとは? イスラエルの民は良く罪を犯します。士師記は罪びとのイスラエルの民がそれでも主の守りを得て生きていく様を示しているようです。本日は、イスラエルの民はまたまた主の目に悪を行い、カナンの王ヤビンに、20年に渡って力ずくで支配していたときの、女の士師、預言者でもあるデボラの話です。イスラエルの民は主に助けを求めます。士師のデボラはバラクと言う軍師を用い、カナンの王ヤビンの将軍シセラを騙し打ちにします。ヤビンも滅ぼされてしまいます。そして、40年平穏が続いたとあります。 さて、この箇所も物騒です。「汝殺すなかれ」に違反するところです。よく、本日の士師記の言葉を見てみると「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、(中略)わたしは彼(シセㇻ)を前の手に渡す』と(4章7節)」「主は、シセㇻとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させた(4章15節)」「神はその日、カナンの王ヤビンを屈服させてくださった(4章23節)」と書かれています。主が滅ぼしたという表現ではないのです。これを読みますと、私なりに解釈しますと、どうも、神様はイスラエルの民にカナン人と一緒に暮らせるように律法を守りながら、カナン人と共にいられるようにしたのだと思います。しかし、実際は武力でぶつかって定住していく結果になってしまいました。これはイスラエルの罪です。十戒違反です。士師が出てかろうじて何十年かは平穏が続きますが、しかし、また、しばらくすると、神の教えを守らない、十戒違反を繰り返す、悲惨な状況にあったということを士師記は物語っているようです。 本日の新約聖書には、一人の女がイエスに高価なナルドという植物の香油を頭に注ぎかける場面が描かれています。これを見た弟子たちは、「なんて無駄なことをするのだ。この香油は300デナリオン(1デナリオンは日当くらいの金額)もするのだから、貧しい人に施せたではないか」と厳しく咎めました。しかし、イエスは言います。「するがままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときによいことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできる限りのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中でどこでも、福音を述べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として述べ伝えられるだろう(マタイ14章6~9節」 イエスの言葉はすごいです。弟子たちは貧しい人たちと共におり、貧しい人たちに良いことをすることはいつも当たり前と言いていることに驚きます。また、女のしたことは良いことだと高価な香油をイエスの頭に注いだ行為を褒め、埋葬の準備をしてくれたからだ、とも語ります。ユダヤ人は埋葬する時、遺体を香油で塗り、布で包んで墓に納めたそうです。ここはどういう意味なのでしょうか?よくわからないところですが、考えてみる価値はありそうです。 以上より、主に用いられるとは、どういうことかを考えますと、主の目に悪とされていること、十戒違反、律法違反を正していくこと、貧しい人たちと共にあり、彼らに良いことをしていくこと、そして、ナルドの香油をイエスに注いだように、イエスの行く道を祝福していくこと(これは、貧しい者、世から排除されている者のような小さきものの暮らしを支えることかなあと思っていますが)と本日の聖書から学びました。 みなさまの祝福を祈ります。