聖書 士師記17章1節~18章31節(18章7-10節)
マタイによる福音書10章16~25節
説教 平和の共同体の心得
「蛇のように賢く、鳩のように素直に」
今日の聖書の箇所は、読むに耐えない箇所です。イスラエルの12部族の一つダン族が定住の場を得るときの話です。ラキシュという地に目をつけ、土地を奪って定住します。しかし、そのラキシュに住んでいた原住民は、静かで穏やか、安らかな日々を送っていました。その地には人をさげすんで権力を握る者は全くなく、どの人間とも交渉がなかったとあります。なんと、完全なる理想郷です。しかし、ダン族は戦闘能力がないことを見て取るや、ラキシュの民を剣で殺し、町に火を放って焼きました。そこにダン族は町を再建したとあります。
何たることでしょうか!イスラエルの神に選ばれし民でもあるダン族た
るものが平和に暮らしている民を滅ぼし、町を破壊し、そこに居座るとは!侵略ではありませんか。ダン族のしたことは悪です。信仰者はこの箇所をどう解釈したらよいか悩むところです。神に選ばれた人であろうとも罪を犯してしまうと解釈するか、ダン族が神から離れたと解釈するか、いろいろな解釈の仕方はあるかと思いますが、ダン族は神の支持に従ったのではないことは、私の思うところです。
本日のマタイによる福音書にはイエスが弟子たちをこの世にイエスの教えについて述べ伝えるとき、狼の群れに羊を送り込むようなものだと語ります。そして、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と話します。私はこの個所は、次のようなイエスの言葉に思っています。「平和を作り出すには、この世には欲望に満ち、力づくで奪い取ったり、破壊したりすることを行う現状があるから、蛇のように賢くその現状分析をせよ。しかし、神の言葉には鳩のように素直でありなさい。平和をこの世に実現することを諦めてはいけない。現にラキシュでは平和な民が存在したではないか。ラキシュの人たちはイスラエルの民ではないのに平和の共同体を作っている。まして、平和の主イエスを頭とする人たちが平和に暮らすことができないわけがない。可能なのだ。だから神の言葉に聞き従え。」
十戒や悔い改めよ、愛し合いなさい、などの神の言葉に従うことで平和は実現できます。人はわかっているのですけど、それができないのだと思います。それだけに、神の言葉はこの世が平和ではなくなっていき、悪くなっていくときのブレーキ役になっているのだと思います。教会はその神の言葉をこの世に供給していく場です。教会は神の言葉を伝えるために「蛇のように賢く、鳩のように素直に」なる必要があるのでしょう。そのとき、教会付近に平和が訪れているのでしょう。
みなさまの祝福を祈ります。