聖書 士師記10章1~4節 マルコによる福音書6章6~13 説教 平和の共同体の心得「神の言葉を伝える」 本日の士師記には、トラとヤイルという士師が立ち上がり、イスラエルをそれぞれ23年間、22年間裁いた、とあります。ヘブライ語の「裁く」の意味には「救う」と言う意味もあるそうです。士師は神の言葉である律法に従って人々を裁き(指導して悪行を行なわないようにしたのだと思います)平和な社会を築いていったのだと思います。しかし、士師がいなくなるとイスラエルの民は悪行を行うようになってしまいます。 このことから考えますと、悪行を防ぐには神の言葉を伝え、導く人が必要だということです。 新約聖書をみましても、イエスは弟子たちを派遣します。本日のマルコによる福音書には、12人の弟子たちを派遣しますが、その目的は、「悔い改めさせるための宣教」(6章12節)でした。宣教というのは、神の言葉を伝えたり、癒しや、愛するという行動で神の言葉の実践を行っていくことだと私は考えています。 現代、教会や伝道所や集会所は神の言葉を伝え、実践する場となっていますし、そうならないといけません。また、個々のキリスト者(クリスチャン)も、個々人の持ち分に応じて神の言葉を伝え実践する器とされていると思います。そういう点では選ばれた人です。十戒やイエスの言葉「互いに愛し合いなさい」の神の言葉を伝え、実践していくことでこの地の悪行を改めることができる、という奇跡が生じるとも私は信じています。それだけに、教会やキリスト者は今や重要な存在なのです。平和の共同体形成にはなくてはならない存在なのです。 みなさまの祝福を祈ります。