聖書 ヨシュア記5章1節~15節、マタイによる福音書28章16節~20節
説教 平和の共同体の心得「儀式の意味」

最近、ラグビーの五郎丸選手のキックの前のルーチンが話題となっています。このルーチンを行うことで正確なキックができるといいます。儀式のもつ不思議が力ですね。
本日のヨシュア記にはイスラエルの民がヨルダン川を渡り、カナン人、アモリ人の住む地域にいよいよ入っていくときのことが記されています。さて、どういう共存のしかたをするのかが興味あるところです。聖書にはカナン人、アモリ人は、「主がイスラエルの人々のためにヨルダン川の水を枯らして、彼らを渡らせたと聞いて、心が挫け、もはやイスラエルの人々に立ち向かう人がいなかった」とあります。一方、イスラエルの方は世代交代した民に割礼を施し、過ぎ越し祭、収穫祭を行いました。ある意味イスラエルの民としての儀式を行ったのです。ここで私は考えました。多民族との共存はイスラエルの民としての信仰、神の言葉に聞き従うことによって成し遂げられるということです。
本日の新約聖書には、復活のイエスが弟子たちに告げる言葉です。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたすべてを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」というのです。洗礼という儀式をしてイエスの言葉に従う弟子にせよということを言っています。
 要は、「汝殺すなかれ」はじめ十戒や「愛し合いなさい」のイエスの言葉に従うことなのでしょうが、それをしっかり行うための方法として割礼や洗礼という儀式を人に与えたのかもしません。それだけ人は神の言葉に従いにくいものなのでしょうね。
 みなさまの祝福を祈ります。