聖書 ヨシュア記4章1~24節、マルコ福音書4章35~41節
説教 平和の共同体の心得「自然を支配する神」

 ヨシュア記4章には、ヨルダン川を渡った時、川の流れが堰き止められ、乾いた川底を歩いて渡ることができたことを記念とするため、川から石を担ぎ出し、記念碑のような物を作ったことが書かれています。この神の軌跡は、子々孫々まで伝えられるように、地上のすべての民が主の自然を支配できる神を知るためであり、イスラエルの民が常に主を敬うためであるとも書かれています。
 マルコによる福音書には、ガリラヤ湖畔でイエスが多くの群衆に神の言葉を語られた後、弟子たちと一緒に船に乗った時、突風が吹いて船は転覆そうになったことが書かれています。その時、イエスは船の艫(とも)の方で眠っていました。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちが溺れても構わないのですか」と言いました。するとイエスは風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言いました。すると、風は止み、すっかり凪になりました。イエスは言います。「なぜ、怖がるのか。なぜ、信じないのか」
 聖書には天地創造の神が紹介され、今日の聖書のように自然を支配される神であることが示されています。しかし、わたし達は東日本大震災を含め、自然災害の悲惨を経験している者です。神がいるなら、なぜ、犠牲者を出したのか、問いたくなります。
しかし、本日の聖書からは、「神は我々を不当な支配的生活から自由な暮らしへと導いてくれる神である、そのために神は自然をも支配する。そのことを、信じるか? なぜ、信じないのか?」と言う問いが神からも問われているようにも思います。すくなくとも、自分たちは自然を私たちが平和に暮らせるようなことにしていくことはしていきたいと思っています。

皆様の祝福を祈ります。