創世記6章1節から22節、ローマの信徒への手紙3章35節
平和な共同体形成の心得 神の愛が繋いでいる

讃美歌21 390 394 478、聖餐式 讃美歌21 81

わたしたちは絶対絶命という状況に襲われてつつ、しかし、生き残っています。わたしたちは、そのような者だと思っています。本来存在しないでよい自分がいま、ここに、ある。
これは神以外の業とは考えられない。わたしたちは、その神がどんなに偉大でどんなにすばらしいかを知り、感謝し、そのお祝いの礼拝を捧げるために生きているものだと思います。天地創造によって、この広大な宇宙に、一つ、地球ができたこと、すら、なんと神秘的、ありえないことでだとおもいませんか。地球のような星はまだ、ひとつも、この宇宙に存在していない。たまたまというには、余りにも、気の遠くなるような確率です。

そういう珍しい星に、わたしたちは今を生きている者です。過去にたいへんなことを経験しながらも行き続けた。地震もあった、津波もあった、戦争もあった、そういう環境にあっても、今、わたしたちは生き続けてきています。不安の時代といわれつつも、生きている者にとっては、大丈夫だという、安心感がすべての人の心のどこかに必ずあるのだと思います。見つけ方が上手下手はあるでしょうけれども。そういう安心感に気づかせるのが牧師や説教の役割なのかもしれませんね。さて、今日はうまくいくかどうか、お試し説教というわけです。

今日の聖書の箇所は洪水の話です。洪水の話は聖書だけではなく、古代オリエントの神話や、ヨーロッパ、アメリカのアステカ、インカ文明、中国、朝鮮などにも神話として語り継がれてるようです。日本にも海幸彦、山幸彦の話で水害によって懲らしめられるという話があるそうです。

1.1 古代オリエント、1.1.1 シュメール、1.1.2 バビロニア (ギルガメシュ叙事詩) 
1.1.3 アッカド (アトラハシス叙事詩) 、1.1.4 カルデア、1.1.5 ヘブライ (創世記) 
1.1.6 エノク書 、1.2 ヨーロッパ、1.2.1 ギリシア、1.2.2 ゲルマン、1.2.3 アイルランド 
1.3 アメリカ 、1.3.1 アステカ、1.3.2 インカ、1.3.3 マヤ、1.3.4 ホピ、1.3.5 カドー 
1.3.6 メノミニー、1.3.7 ミックマック、1.4 極東、1.4.1 日本、1.4.2 中国、1.4.3 朝鮮 
1.4.4 台湾、1.4.5 インド、1.4.6 インドネシア、1.5 ポリネシア

いろいろな話があるようですが、どれも。洪水神話に関係しているのが、洪水が人間の悪い行ないや神から見た罪を正すために用いられていることでしょう。
その人が行った悪い事が記されています。
地上には人が増え始め、娘達が生まれた。神の子らは、人に娘達が美しいのを見て、各々選んだ物を妻とした。主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久に留まるべきではない。人は肉に過ぎなのだから。」こうして人の一生は120年となった。というように記述されています。現在、長寿の方はだいたい120歳前ですね。
「当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。ネフィリムというのは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。」とあります。名高い英雄、これは民数記13章33節にも出てくることばです、カナンにいた巨人として出てきます。おそらく、言い伝えられてきたことなのでしょう。一神教であるユダヤ教がなぜ、神の子らとか、それらが人の娘に産ませたネフィリムなどと言うかは大変疑問なのです。さらに、全知全能なる神が、地上に悪がまし、常に悪い事ばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を作ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上から拭い去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも、空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」このように言ったというのです。

人はもうすでに、この時、神から見離される、捨てられる状態にあったのです。アダムから9代目、ノア、この時代、神様の堪忍袋の尾が切れたのでした。

しかし、ノアは主の好意を得た。とあります。

ここからノアの箱舟の話が始まりますが、ノアの家族や動物達が、箱舟に入って、生き残る事が書かれてみます。

次からはノアの物語が書かれています。
神に従う無垢な人で、神と共に歩んだ。とあります。

この聖書の1節から8節と、9節から22節は異なる言い伝えから、編集されたのではないかと考えられます。J資料一つはどんなことがあろうが、主にある人を主は滅ぼさず、祝福を与えていくと言う考え方。もうひとつは祭司資料と言いまして、神(エロヒーム)を信仰するように人々を導いていくべき、良き行いをしていき、平和な共同体を形成していこうとする、人達、とも考えられるようです。話の内容は若干異なります。
はじめの方は、悪い事を人がしてしまっているので神が人を滅ぼそうとするが、それができない神。後の方は、神の言いつけを忠実に守る人間ノアと命拾いする家族や動物が描かれています。

ここで、言いたいことはなんでしょうか。
神は人を滅ぼすことができるということでしょうか。いいえ、できないということです。
なぜなら、滅ぼさないと、この物語の最後に、虹を造られたからです。
また、人はノアのように無垢な信仰がなければ救われないのでしょうか。
いいえ違います。家族や動物達も生きながらえるようにされました。信仰や生活態度とは無関係に救われると言う事です。
では、どんな暮らしを聖書は進めているのでしょうか。それは主に従う方々と一緒に暮すということです。それぞれ、神の言いつけを破るのではなく、神の言いつけに従い合う、殺しあうのではなく、支え合い、助け合う共同体、動植物も含めた暮らしのある共同体、
そのような共同体を形成していくように求めているように思います。

さて、そのような共同体は現実問題できるのでしょうか?
神の言いつけに従い、支え合い、助け合う、共同体、このようなことができるのでしょうか。そのこたえは、はい、です。

ノアの箱舟が証明しているではありませんか。洪水で全世界が滅ぼされるかも知れない、人間の手ではどうにもできない、自然災害からも人は神の愛から離されることはなかったのです。
「だれが、キリストの愛からわたし達を引き離す事ができましょう。艱難か、苦しみか,飢えか。裸か。危険か。剣か。」とローマ8:35節にあります。

実に平和の共同体を模索していくのでしたら、主の愛による、共同体形成がなされているという事に気づくべきでありましょう。もうすでに。ノアの時代から・・・神の愛が平和な共同体を歴史を通して繋いで来ているのだと思います。
それは、どこですか。
神の愛がわたし達を集めて、ノアの箱舟のような箱に入れてくれているではありませんか。
そう。それは、ここ教会です。今日もこんなに集まってくださいました。
主イエスに感謝します。

ここで聖書が言いたいことは、主が作る共同体形成は、自然災害では滅ぼすことができない、地震や津波など本当に気の毒な犠牲者が出て悲しい事態が起きておりますが、主の共同体は決してそういうことではなくならない、存在していくということを語っています。聖書に預言されていますように、天地がたとえ滅びようとも、新天新地を用意してくださる、死者に対しては復活を与えてくださる、そのような神の愛によって一人一人が大切にされ育まれ、神に愛された一人一人が共同体を形成していくということが述べられているのではないでしょうか。
洪水の時代には、ノアの箱舟の中の人達でした。
現代は教会です。神の愛が教会を形成し、経過の中でさまざまな災難に見舞われつつも、繋がれ、続いてきている事実。
そして、聖書に示されているように、将来、天地が滅びる終末にも,永遠の命を与えられた復活した身体のあなたがたが平和な共同体の中で生きているということを、本日の聖書の箇所はいいたいのでしょう。

私も今、一人暮しになって、ちょっと、絶体絶命かなんて思っているのですが、今日の聖書の箇所を読んで、こうして説教を作ってみますと、なんだか大丈夫なようないになって元気が出るんですね。不思議に。
今、悲しみの中にいらっしゃったり、辛い思いの方々、大丈夫です。今、ノアの箱舟のような教会で、主イエスが神の愛で生き続けることができるように、しっかりとあなたとあなたの周囲の方がたも含めみんなを守ってくださっています。そう信じ、感謝して歩んで行きましょう。