創世記47章13~26節 マルコによる福音書8章1~13節 説教題は『危機にあるときでも』 来年度から消費税増税が始まりますね。先日、東北電力から「大切なお知らせ」というのが来まして、中を見ましたら、「冬季電気料金への値上げの影響に関するお知らせ」とありまして、何だ、値上げするのか、しないのか? あと早見表がありまして、最低月530円って、最高9180円という一覧表がありましてね読んでもみても、自分の内の電気料金が上がるのか下がるのか、わからないので電話して聞いてみました。そしたら、何のことはない、値上げされるということで、しかも、私のうちの場合は昨年1月は4万ちょっとかかっていたので、この1月は5万円超しますって言われました。なんだ、早見表の最高額より多いじゃなか、と思った次第です。「よくわかりました、ありがとうございました。」と言いましたら「節電することでお安くなりますので、よろしく、ご了承のほどお願いいたします」などと言われたわけです。暖房費なんですねうちでは。風邪ひいたら大変ですから、冬場は高くなっても暖かくしているんです。年金も下がり、保険料値上げとか、お金がますますかかるようになってしまいます。低所得者には大変ですよ、たぶんこれから。貧困率は2009年で16%くらいでしたからね。これから増えていくんじゃないかとおもいますよ。特に高齢者女性ではそうなるという研究もあるようです。トヨタ自動車が2.2兆円黒字だなんていって、やっぱり、大企業の政治が実現したんだと思ってしまいます。まあ、この政治悪政なんでしょうけど、問題は貧困なんです。貧困な出されなければいいんです。注目すべきは貧困者です。マスコミはそこを提供してほしいと思います。しかし、現状維持や繁栄維持というのが目的みたいで、決して、貧困をこの世からなくそう、みたいな、公約やスローガンは政治家には見出せないですね。 今日の創世記にはエジプトでヨセフが飢饉から人々を救う政策が示されています。ヨセフの政策は驚くべきものです。飢饉による災害で人々は食料がなくなります。その食料をエジプトの国側為政者がわのファラオ王の宮廷、今の日本で言えば、政府でしょうか、そこに蓄えていたんですね。そして、人々が政府から食料を銀で買い取ることをしていきました。しかし、飢饉は7年も続きます。エジプトの全国民、カナン地方の人々には銀、つまり、お金がなくなってしまいした。そのような時もエジプト人はヨセフのところにやってきて食べ物を求めます。そうされるとヨセフは家畜と引き換えに食料を渡していきます。しかし、次の年、人々の食料が尽き、また、ヨセフのところに食料を求めに来ます。ヨセフは今度は住民の土地を買い上げ、さらに、エジプトの奴隷となることで土地を貸し、作物を作らせ、その5分の1を税としてファラオに納めるという税制をしきました。祭司は王ファラオからの給料があったので、土地の提供や奴隷にはならなくてもよかったようです。これらの政策を実行したとき、一般庶民の言葉は耳を疑うべきようなことばです。「あなたさまは私の命の恩人です。ご主人のご好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にしていただきます。」とそのような条件を飲むのです。しかも、感謝して。ファラオ―ヨセフの独裁政権の誕生です。しかも、国民は祭司を除いて皆奴隷。ヨセフはエジプトの祭司の娘を妻としていました。彼は異教徒を妻として、しかも、経済大国エジプトの王政を成功させ、飢饉によってそれを固く据えた大成功者、勝ち組になったということです。しかし、全庶民、普通の人々は、必要が満たされ、満足した状態にあったということです。貧困はなかったような印象受けます。このエジプトの政策は貧困対策でしたね。貧困対策に成功すれば、人はその指導者の奴隷にだってなっても喜び、感謝するようですね。腹が減らない奴隷。奴隷という表現がおかしいかもしれませんね。この場合は雇用者とか王の僕とか、そういう関係。王政でなければ、公務員とかそういうレベルでこの場合は奴隷という事になるのでしょうね。 マルコによる福音書にはイエスが、3日間イエスに同行した、空腹の約4000人に食べ物を与えたことが書かれています。7つのパンしかなかったのですが、7つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてパンを裂き、人々に配るように弟子たちに渡しました。すると、約4000人の人が食べて満腹しました。しかも残ったパンくずを集めると7籠になったと聖書に書かれています。こういう記事が短いマルコの福音書には2か所もあります。これ以前にはマルコによる福音書6章30節~44節に5000人に食べ物を与えたとあります。2回も同じようなことがあったということは、イエスが多くの人々の空腹を満たしていた。人々の生きることの基本的な必要を満たしていた。ということが、実際にあり、イエスの重点的な仕事でもあった、イエスの人間対人間の関わりの中で重要な関わり方は食物の提供であるということを、意味しているように思います。 最近、やなせたかしさんという方がなくなったということです。94歳といいましたか。戦争体験者で飢えを経験し、こんなに飢えとは苦しいものかと、その飢えることの恐ろしさを痛感した方らしいです。この方は「あんぱんまん」という幼児漫画の著者です。このあんぱんまんというのは、顔があんぱんなのですが、弱り果てた人に自分の顔であるあんぱんを食べさせて元気にするんですね。食べられると半分顔がかけて、歯形がついた感じかけてですね。飛んで行って、ジャムおじさんのパン工場に行って再生してもらんですけど。そういう自己犠牲的な話なんです。あんぱんまんは多くの救いをもたらしましたね。絵本がたくさん出て鳴子保育園でもお世話になったんではないでしょううか?私も子どもの発達のゆっくりなお子さんに関わるときなどお世話になりました。 本日の聖書の創世記もマルコの福音書もどちらも、貧困のない状態に神がイエスが神業を使ってなさせたことと理解できます。創世記ではヨセフの政治的手腕、エジプトの王政、奴隷制を強化するという普通では一揆での怒りそうな非常識な方法を用いて、マルコによる福音書の場合は、イエスの祈りと讃美によって、人々は飢えから救われたと解釈できます。 また、アンパンマンにみられるように、飢えをなくすヒーローが今でも必要なキャラクターとして描かれているのは、今でも、飢えないで生きることが、みんなの願いだということが分かります。聖餐式にパンと葡萄酒をいただくというのも、食べることで人は生きるというイエスのメッセージではないでしょうか。神から出る一つ一つの言葉というのは食べることが必要だという事ではないでしょうか?石をパンに帰ることではない、食べ物にありつくことだ、というサタンへの反論だったようにも解釈できます。 もう一つ、笑顔を作る方法ってご存知ですか? それはおいしいものを食べるととても幸せそうな顔になるそうです。 メタボになるくらい食べるのは問題ですが、飢えない暮らし。神はイエスはこのような暮らしを我々に求められています。私たちは飢えない暮らしをしていけるよう努めていきましょう。これこそ、御心です。また、近くの人が飢えないようにも支えていきたいと思います。また、日本の貧困率は16%10人1.6人が飢えに直面しています。全世界となれば、今12億人が極度の貧困状態にあると言われています(ワールドバンクのニュースにて)。神やイエスはこのような方々が飢えないように願っているのではないでしょうか? われらに今日も日ごとの糧を与えたまえと祈っている私たちです。少しでも飢える人々が減っていきますように、心がけてできることをやってまいりましょう。 皆様の祝福をお祈りいたします。