創世記46章1節~47章12節、(朗読個所 創世記 46章1節~4節) マタイによる福音書2章13節~15節(こちらは全部朗読) 説教 平和の共同体の心得「すべてを用いて祝福する」 本日は、ヤコブのエジプト下り、ということですが、ここは、ヤコブの家族が難民になって、エジプトにいくところです。ヤコブ、ジェイムスとかジムとかいう名前によく、使われていて、英国や米国では人気がある名前です。イエスの12弟子の一人にもヤコブがいます。しかし、このヤコブの人生は、どうだったかと思いますと、決して、幸いな人生ではなかったと思います。47章9節にヤコブは自分の人生を振り返ってか、「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」といっています。 ヤコブの生涯は、本当に苦しみの多いものでした。「苦しみ多い」とは、「不幸だ」とも訳される言葉らしいです。母の胎にいた時に既に双子の兄と喧嘩ばかりしていたし、生まれる時には兄の踵をつかんで出て来ました。生まれた後も兄との対立は続き、兄から長子の権利を奪い、彼は兄を恐れて故郷を後にしなければなりませんでした。そして、母の故郷のバダン・アラムでは、叔父には、結局十四年間もただ働きをさせられることになりました。その上に、元々姉妹である妻同士の仲が悪く、これも結果として、妻の側女二人を含めて四人の女性との間に十二人の男の子が生まれることになりました。子どもらを連れて故郷に帰る時も、兄のエサウと会う前に死の恐怖を味わいましたし、カナンの地に帰った途端に子どもたちがある村の男たちを皆殺しにして、周囲の人々からの敵意を買うというとんでもないことをして、命からがら逃げなければならないこともありました。また、最愛の妻ラケルが漸く二人の子を産んだと思ったら、死んでしまうという痛恨の出来事もありました。そして、ヨセフは他の兄弟たちによって死んだことにされて二十年以上が経っている。もちろん、楽しく嬉しいことだってたくさんあったに違いないけれど、彼の人生は争いがあり、誰かを騙し、そして騙される人生でもあります。そして、命の危機にさらされ、最後は難民としてエジプトに下らなければならない。彼らは祖国を失ったんです。そういう不幸な人生を生きて来た人です。 アブラハムやイサクもそれなりに苦労の多い人でしたが、ヤコブに比べれば、穏やか人生を送ったと言えるかもしれません。そして、寿命はアブラハムが百七十五歳、イサクは百八十歳でした。それに比べれば、ヤコブは結局百四十七歳で死にますから、たしかに短い。ファラオと会った時は百三十歳ですけれど、ヤコブはもう死んでもよいと思っていたし、そういう予感もしていたのでしょう。ここには、喜びも望みも何も感じられません。老人の諦めとか、絶望、ため息まじりの独白のような雰囲気が漂っています。47章8-9節に、彼は、「何歳におなりか」とのファラオの問いに対して、このように答えただけで、「別れの挨拶」をして退出してしまうのです。ゴシェンの地に住まわせて貰えることに対する礼を言うわけでもない。ファラオの権力に擦り寄るわけでも媚びるわけでもない。でも、この「別れの挨拶」と訳された言葉も、「祝福する」と同じ言葉なのだそうです。祝福したのはヤコブなんです。 難民のヤコブは、無理して祝福する上位に立とうとしたように描かれているようです。自分の力でなんとか自分の人生を切り開き、他者に対して、優位でありつづけよう、神であり続けようとする。そのときの苦しみ、違和感。ヤコブはそういう人だったように思われます。最後まで自分の力でやっていこうとする・・・ そういう人って周りに多いように思います。私もそういうところがありましたね。頼りは自分だけという感じでですね。そういう人の中にも神の言葉が介入してきたことを今日の創世記は示しているように思われます。 今日の新約聖書マタイによる福音書の箇所は、イエスがエジプトに逃げてく場面が描かれていますが、命を追われるシリアの難民みたいではなかったかと思います。 こうしてみると、聖書には暮らしの場を失った難民について描かれているとも思えなくもありません。暮らしの場を失いつつ、そこに、同行している神がいることに気づいた人たちの出来事が聖書に書かれているとも考えられます。 自衛隊を国防軍にするといい、原発を0にしない、経済政策を最優先にしている自民党が衆議院過半数を大きく超えてしまった。今後の日本の行く末はどうなっていくのだろう?と思う次第です。これも為政者の暮らしの場を奪われるという恐怖感、否、国全体が滅ぼされてしまうのではないかという恐怖感が動機となっているように思われます。ですから、わたしは、目指すべきは、誰からも暮らしの場をなくならせない福祉国家であると思います。さまざまな賜物と弱さをもった、人間が支え合いながら、排除し合わないで、生きていける世を実現したいと思います。本日の聖書の箇所は当時最高の文明をもったエジプトが、創世記では飢饉からイスラエルの家族を救い、マタイによる福音書では、エジプトが生れたばかりのイエスの命を救ったことが書かれているのも象徴的です。福祉的世界が描かれているようにも思われます。イスラエルと言う神から与えられたと信じているこの祖国を失っても生きる道ありき、という希望が、ここに示されていると思います。 難民もそうですが、暮らしの場を失われる人たちって、意外と多いように思われますね。東日本大震災、福島第一原発の事故などによっても、住むべきところがなく、これまでの暮らしから追いやられている方々、差別や偏見で暮らしを追われる方々、病気や性格によって暮らしを追われる方々など上げたら限りなくあるように思います。 神は、暮らしに追われているものと共に生き、暮らしが成り立つようにしてくださる、滅びへは向かわない、祝福の道、国境をも超えて、福祉的世界を与えてくれる、ということが聖書を通して知ることができます。 さて、この祝福とは何か・・・これはおそらく一人ひとり異なる体験、人生であり、それこそ、神の国というべきものなのでしょう。 お祈りします。 これは(本を示し)宮本旻祐牧師(指導牧師)の「祝福の道」と宮本幸子夫人の「東日本大震災記録」です。宮本牧師夫妻は東松島市で被災し、東京へ避難されました。宮本幸子さんは今年2月に召されました。失うことの多くあった、震災。70半ばのお二人にはかなりきつかったことだったでしょう。しかし、『祝福の道』と書かれたこの本には、神様の祝福を体験したお二人の証が示されていることと思います。 あとがきを読み、今日の説教を終わりたいと思います。 宮本牧師のは 本書におさめられた説教は、2011年の夏以降、東京の2つの教会と石巻教会で語ったものです。 石巻栄光教会へは、震災後3ケ月に1回、説教応援を開始しました。私にとっては、この与えられた機会に、聖書と向き合う中で、私自身が震災から立ち上がっていきることを赦されたと思っております。出版にあたっては、秋山憲兄氏がすべての労を負ってくださいました。感謝します。 宮本幸子さんのあとがきは、以下のようになっています。 2011年3月11日以降を自分自身の中で風化させないために、それまで如何にも呆然として過ごしてきた出来事を、あれはまるで昨日の出来事かのようなことを、とにかくメモにして記しておこうと思ったのは、そのことが、私自身に目的を与え、合わせて、この秋には75歳を迎える私の小さな人生の総浚いともなろうかとも考えての上に立ってのことです。いつの日か、このメモが、私の子、孫、更に与えられるなら曾孫達の目に触れたとき、一人ひとりの体験や感想は異なろうとも、各々に与えられし人生の、信仰の総決算として、小さなメモとして、自分たちの道標として役立ってくれたらうれしいと思っての上のことです。2012年12月。 この「あとがき」を書いた後、宮本幸子は2012年1月に、終末期医療病院に入院、加療中でありましたが、2013年2月14日、肺がんによる転移性脳腫瘍のため、神のみもとに召されました。 自分に残された時間は、すでにそう長くないことを感じる中で、また時としてがんを受け止め兼ねる思いをしつつ、震災の経験をそこに重ね合わせながら、この「東日本大震災」を書き残して行ったのだと、今、思いを新たにしております。 2013年3月 宮本旻祐 祝福をお祈りいたします。