創世記39:1-23、ローマ8:28
説教題:すべては益となる

本日の創世記には、「神が共おられた」というヨセフという人がエジプトの王ファラオの宮廷の役人侍従長ポテファルの奴隷になったときのことが書かれています。ヨセフはその力量を主人ポテファルから認められ、家の財産すべての管理を任せられるようになります。そうしているうちに、その家のポテファルの妻はヨセフと床を共にしようとヨセフを毎日誘うようになりますが、ヨセフはそれを断り続けます。業を煮やしたポテファルの妻は夫不在の時、ヨセフの服を掴み、「私の床に入りなさい」と迫ります。ヨセフは服を彼女の手に残し、逃げてしまいました。悔しかったのでしょう、ポテファルの妻はポテファルニにヨセフが自分を強姦しそうになったとうそをつき、ヨセフは囚人の監獄に入れられてしまいます。しかし、そこでもヨセフは監守長に認められ、監獄の囚人をヨセフが任せられ、獄中の人がすることはすべてヨセフが取り仕切るようになります。ここまでが今日の創世記の話ですが、後ヨセフはエジプトの王ファラオに認められて、実質上のエジプトの支配者になります。
本日のローマ信徒への手紙の箇所は、「神 を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださること を、私たちは知っています。」です。

私は、しょっちゅう失敗し、悩み、上手くいかないことにぶつかり、疲れ、落胆し、焦りもし、すべてがダメだと思うことがあります。また、他人にダメだ、といわれる事もあります。「下の下になってしまった」とか「全部ダメじゃん」等と言われたこともあります。これはきついことです。しかし、本日の聖書を読む限り、「すべてが益になる」というのです。「すべて」とは「我らの上に起こりうる一切を指す」といいます(内村鑑三)。自分がダメであることも含まっているのです。

本当だろうか?と思わざるを得ませんが、本当らしいです。信仰者はそれを信じ、どんな自分でも、他人でも、必ず「益」(世のため人のため)になることを信じることができるのだと思います。

皆様の祝福を祈ります。







 
2010年8月8日
新約聖書: ローマ人への手紙8章28節
説教:滝田新二牧師


序. 口で絵を描く車イスの証人・ジョニー・エリクソンは語 る。

『人生がバラ色の時、私たちは主イエス様のことを知っている と思い、主イエス様のように生きているつもりになっていて、 何となく主イエス様の教えを引用してみたり、主イエス様のこ とを話したりしています。しかし、苦難を通してでなければ、 私たちが本当に主イエス様を知ることはないのです。」 困難や試練に直面した時、私たちの希望は、積極思考や楽観主 義にあるのではない。それは主がこの全宇宙を支配し、私たち を愛して下さっているという確かな真理にある。それが今月の 暗唱聖句の御言葉である。

1.  「神はすべてのことを」

すべての背後には、偉大なデザイナーである主の御手がある。 あなたの人生は、決して偶然や運命の産物ではなく、マスター プランに基づいて造られている。 『歴史は神の物語である。(History is His Story)』  主が背後で導いておられる。 私たちは間違いを犯すが、主は決して間違うことがない。 あなたの人生には神の計画と目的がある。神の計画の中には、 あなたの人生に起こるすべてのことが含まれている。 成功や素晴らしい出来事も、反対に、あなたの失敗・罪・傷・ 病気・失業・災害・死別も含まれている。 主は最悪の事態から最良のものを引き出すことがおできになる お方である。

2.  「共に働かせて」

原語では「神は」という言葉はない。 「すべてのこと」が主格となり「すべてのものが一緒に働いて 益となる」という意味である。神の計画の中で、1つ1つの出 来事は他と個別のものではなく、共に働いて、あなたをイエス 様に似た者とする。

3.  「益としてくださる」

「益となる」という原語は「善となる」という言葉。 主は、悪いものから良いものを引き出すことを得意としておら れる。 つまり、神は善の神であり、人の悪や罪さえも、益に変えて下 さる。  (例話:イエス様の系図の中に、タマル、ラハブ、ルツ、バテ ・シェバという決して立派とは言えな経歴の4人の女性が登場 する。救い主はこの家系から誕生された。)

例話:内村鑑三は語っている。 「すべてのことというのは、我らの上に起こりうる一切を指す 。すなわちパウロは、この世の悲しみも苦しみも一緒に働いて 、我々に永遠の生命を与え、復活の希望を与え、我々の救いと なると言っているのであります。実に有難いことではありませ んか。このことが本当に自分の確信となったら、我々は悲しみ に文句を言わなくなる。その時は辛いが、苦しみから逃避しな くなる。そして勇敢に立ち向かう力が与えられるのである。」 「神の目的に従って」とは、私たちが御子イエス様と同じ姿に なることである。あなたの人生においてこれが実現する。 (例話:ミケランジェロのダビデ像)

結 論:  イエス様のように問題に対処しよう!

(1)  神のご計画は良いものであることを覚える  (エレミヤ29章11節)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知ってい るからだ。─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を 与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのも のだ。」 自分の痛みや問題にではなく、神の計画に焦点を合わせ続ける 。イエス様はそのようにして十字架の痛みを耐えしのばれた。 私たちもその模範に習おう。 ヘブル12章2節 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない でいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、 はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着 座されました。」 (例話:ナチスドイツのアウシュビッツの体験者     コーリー・テン・ブーン)

(2)  喜び、感謝する       (Ⅰテサロニケ5章16~18節)

5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について(どのような状況にあっても) 感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって 神があなたがたに望んでおられることです。 主は、邪悪な事、罪、艱難、この世の痛ましい出来事に感謝を ささげることを期待しておられるのではない。主があなたの問 題を用いて主の目的を達成しようとしておられることについて 、あなたが主に感謝をささげるようになることである。

(3)  決してあきらめない       (ヤコブ書1章2~4節)

1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 霊的な成長(聖化の歩み)は、ラセン階段を登るようなもので ある。人生の困難な問題を避けようとしたり、逃げ出しても、 かえって自分の成長を遅らせるだけである。  “主よ、私を造り変えて下さい”と祈り求めよう。  こうして、あなたはみことばと聖霊様によって主の似姿へと変 えられるのである。

主よ感謝します。