創世記34章1~31節 マタイ5章38~42節 解決できない人間の問題と共に なかなか問題が解決されないことが暮らしの中では多い。津波で被災されたが、1000年に一度、人間は経験しているが、忘れてしまうのか、なかなか、高台に移転と言っても、実現できなかった。また、戦争もあちらこちらで起こっている。人権や差別の問題も未解決といっていいかもしれません。そして、私たちの日常でも虐待やいじめはいつ終わることなく続くような気がします。差別の問題は根が深い、問題であるようです。わたしの勤める施設でも、一部の職員にいじめを受けているという方がいますが、苦情相談には上げないで、私に苦情をいい続ける方がいます。そして、介護の仕方を良くするように吸引のビデオを取ってみんなでうまくできるようにするからと言ったのですが、どうも、乗り気でなかったりするのです。いじめを受けているといいながら、相手を徹底して追及できなかったり、白黒はっきりできないこともあるようなのです。 何かすっきりしない、わだかまりを抱えながら暮らすことがあり、いやだなあと思うわけです。 聖書を読んでいきますと、そういう問題が随所に出てくる事が分かります。ああ昔からわだかまる問題というものがあったのだという、安堵感のようなものが旧約聖書を読むと与えられます。 本日の聖書の箇所も、わだかまる出来事です。わだかまることを越えて、怨恨が残ってしまう出来事で、人間の力ではもう、どうしようもない状態に陥ったことが書かれています。 約束の地に入ったけれど問題が生じた。 さて、ヤコブ一族ですが、ヤコブは兄のエサウから長男の権利と、神様からの祝福を奪い取った者です。そして、結婚相手を探すということで、パダン・アラムまで7・800キロを、逃げるようにして移動します。 2つの問題 1、 ヤコブの娘ディナがシケムの町の首長のハモルの息子シケムに暴行され拉致監禁されたことより始まる。シケムはディナに恋し、結婚したいと言い出す。それに対しての復讐が生じた。 2、 ハモルはこの事件を利用し、ヤコブの財産を狙う。また、ヤコブの息子達は、シケム全体を略奪しようと考える。略奪船となった。 異なった文化価値観の出会い 性的に異なった捉え方。 どっちも恥ずべきことをしている 。 ヤコブは困った事だと考える。災い。解決出来ない問題。 イスラエルとパレスチナ問題、差別の問題。偏見の問題。 新約聖書では、復讐否定。 絶望がもたらすもの。人はその人に絶望するから排除し、死に葬る。絶望は死をもたらす。 神の望み エゼキエル18章32節 主はどんな死をも喜ばない。 神の特別な恵み:主の業に用いられる、イスラエル、クリスチャン、 イエスの十字架:特別の業・・・これこそ、解決出来ない主の業、人間には理解できない 人は悔い改めるべきである。 キリスト者は解決出来ない問題をも、希望をもって、共にできるものなのでありましょう。