創世記33章1節~19節、コリントⅡ5章17節~21節 「平和の共同体の心得―和解する」 人間にとって最も神の御心に合わないものは「崩壊」「破壊」なのではないでしょうか。 家庭崩壊というこのことばが世に出て30年近くなります。「学級崩壊」ということばもありました。ヒトラーをテーマに「破壊」という本をエーリッヒフロムは書きました。自然災害による自然崩壊、公害などの自然破壊、戦争やテロによる人、物、人的活動等の破壊は日々の報道などでよく知られていることです。 聖書には、その破壊や崩壊にあっても、神の御心にまた復帰する希望、つまり、そおれは、本来神の定めた、創造に変わる事が、聖書に示されているように思います。 本日の聖書は、エサウとヤコブの和解が示され、新約のコリント信徒への手紙Ⅱでは神と意図との和解が示されています。そして、これらの和解は人間の力ではなく、神の一方的なめぐみの業として示されています。 人は、神との関係を、どうしなければならないか、といいますと、和解するということです。しかし、その和解は、人間が努力してなされたものではなく、神イエス自らが十字架にかかり、すべての人のために、関係を元通りにしてくださった、と聖書には記されています。このことにより、私たちは、破壊や崩壊の中にあっても、創造の世界に生きる事ができるようにされているのではないでしょうか。 終末には、この地が滅びる、いまだかつてない苦難に遭うと、聖書はいいますが、しかし、最終的には、神が、新しい御国を与えるといってくれています。ということは、今、その聖霊である神と共に私たちが生きているのですから、今の苦難をも、神と共に、乗り越える事が出来るということです。 私たちと共にいるイエスが、私たちとの関係を本来ある関係にしてくれたと信じる事で、十字架についたイエスが、我々の神を否定する罪を赦して、神からのめぐみを十分に私たちに注いでくださるということを信じる事で、破壊、崩壊にある世から、創造に世に生きている事に気づかされるのではないでしょうか。 神様は私たちを、悪いようにはしない。神との和解をなし、人とも和解をもたらす。本日の聖書はこの希望を私たちに与えてくれるものです。