創世記31章22~32章1節、マルコによる福音書9章14~29節 説教 平和の共同体の心得「『できれば』と言うのか」 説教要旨 本日の創世記の箇所は宿敵となったヤコブとその叔父ラバンの和解が実現するが、それは神の言葉が異邦人の異教徒の叔父ラバンに示されたゆえ実現した。 本日のマルコの福音書では悪霊に取り付かれた息子をイエスに癒してもらおうとした父親が言う。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」と。それに対し、イエスは言う。「『できれば』と言うのか。信じるものには何でもできる」。このイエスのことばは父親の信仰を責めたのではないと思う。イエスはこの子どもを助けることが、『できれば』というような重要性の乏しいことではなく、イエスの最優先最重要課題であるということを宣言したのだと思う。平和や敵同士の和解の実現、困っている人を助けるということがイエスの最優先最重要課題であるということをここで示しているのだろう。イエスの信仰者である私の最優先最重要課題もイエスと同じようでありたい。