創世記19章1節~29節

破滅の只中から救い出された

聖書には思いもよらぬ言葉が書かれています。「破滅の只中から救い出す」という今日の言葉もすごいことばです。破滅の前に破滅しないように配慮するのならまだ分かりますが、破滅の只中から救い出す、とは、なんとも創造を絶することです。


諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)を顕(あらわ)す。驕(おご)れる者久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。猛き人も遂には滅びぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ。遠く異朝(いちょう)を問らふ(とぶらう)に、秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の周伊(しゅうい)、唐の禄山(ろくざん)、これ等は皆旧主先皇(きゅうしゅせんこう)の政(まつりごと)にも従はず、楽しみを極め、諌(いさめ)をも思ひ入れず、天下の乱れん事をも悟らずして、民間の憂ふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じ(ぼうじ)にし者どもなり。近く本朝を窺ふ(うかがう)に、承平(じょうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)、康和(こうわ)の義親(ぎしん)、平治の信頼(しんらい)、これ等は驕れる事も猛き心も、皆執執(とりとり)なりしかども、間近くは、六波羅(ろくはら)の入道前(さきの)太政大臣(だじょうだいじん)平朝臣(たいらのあそん)清盛公と申しし人の有様、伝え承るこそ、心も言(ことば)も及ばれね。その先祖を尋(たず)ぬれば、桓武天皇第五の皇子(おうじ)、一品(いっぽん)式部卿(しきぶきょう)葛原親王(かずらはらのしんのう)九代の後胤(こういん)、讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(そん)、刑部卿(けいぶきょう)忠盛(ただもりの)朝臣の嫡男(ちゃくなん)なり。かの親王の御子(みこ)、高視王無官無位にして失せ給ひぬ。その御子(おんこ)高望(たかもちの)王の時、初めて平の姓(しょう)を賜はつて、上総介(かずさのすけ)になり給ひしより以来(このかた)、忽ち(たちまち)に王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府将軍良茂(よしもち)、後には国香(くにか)と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上(てんじょう)の仙籍(せんせき)をば未だ許されず。