聖書 エズラ記8章21~23節
   ヨハネによる福音書20章24~29節
説教 平和の共同体の心得「神による平和」

教会歴受難節に入りました。教会歴でイエスの十字架の苦しみと私たちの罪の赦しを思う時期とされていて、今年は4月20日のイースター前日までが受難節です。3月11日が近づくと東日本大震災や原発事故の関連の報道があり、今も苦しむ人々を思っていただけることはありがたいことです。震災があるなしに関わらず、問題は個々人の苦しみがなくなることですが、個々人の苦しみはなくなるのかと思うと、どうでしょうか?苦しみがなくなってほしいと思いますが、一般受けたダメージは取り返しがつきません。引きずって生きていくのではないかと思います。そういう時、自分はどう生きるか、考えると、人知を超える神に頼る生き方を選んでしまいます。そして、苦難がなくなり幸いな時がきっと来るだろうと信じ、密かに心のうちに希望をもって生きているのです。世の平和も同じことです。抑止力による平和を実現するといい、核兵器をもつ国々。先日、核を持つ国同士のインドとパキスタンで軍事衝突があったようですし、抑止力が平和をもたらすとは私は考えないです。

本日のメッセージのタイトルは「神による平和」です。平和は抑止力によらず神によるというメッセージを本日の聖書の個所から受け取ることができます。エズラ記8章には祭司エズラとともに数千人の人々が1000キロメートル以上ある道のりをバビロンからエルサレムへと旅したことが描かれています。このときエズラは統治されていたペルシャの王に護衛の歩兵や騎兵を頼むことで来たようですが、エズラはそれを恥と思いしませんでした。なぜなら、エズラはペルシャの王に「わたしたちの神を尋ね求める者には恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神をも捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と言っていたからだとのことです。見えない神に頼るのは不安でいっぱいだったでしょう。「わたしたちは、そのため、断食して祈り、祈りは聞き入れられた」とエズラは語っています。本日の新約聖書のヨハネによる福音書20章24節から29節にはイエスの復活を見なければ信じないというトマスにイエスが現れた出来事が描かれています。イエスは弟子たちの真ん中に立ち「平和があるように」と語り、トマスに「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」「見ないで信じる者は幸いである」と語ったのです。

以上、本日の聖書から、平和実現は神によって為されると信じていいと益々私は思います。安倍晋三首相は抑止力が平和実現に必要と思っているようです。しかし、その妻の昭恵さんはカトリック信者。今晩、晋三さんに「平和は神によって実現する、抑止力ではないわよ」って大好きなお酒でも飲みながら言ってくれたらいいのになあと密かに心の中で思っています。

皆様の祝福を祈ります。