エズラ記4章1~24節、ヨハネによる福音書11章45~57節
説教 平和の共同体の心得「邪魔が入っても大丈夫」

本日のエズラ記はバビロニア捕囚からエルサレムに帰り、神殿再建に着手しようとしたイスラエルの民にそれをよく思わない敵から妨害が入り、神殿再建が進まなくなったことが描かれています。また、本日のヨハネによる福音書にはイエスを殺害しようとするファリサイ派の人々が現れたことが描かれています。神殿は再建され、イエスは復活し、神の業は妨害されても結局はなされていくようです。

聖書を読んでいますと、他にも、神がなさる業に対して、邪魔が入るけれども、神の業が進んでいく様子を私は見せられているように思います。例えば、創世記では神が食べてはならないという命の木の実を食べてしてしまったアダムとエバ。エデンの園から追放されますが、それでも、子孫のアブラハムは祝福を受け、イエスラエルの民の祖となりました。また、出エジプト時与えられた十戒を守らない人の背きにありながらもダビデ王国家樹立にまで成し遂げられます。さらに、イエスはいらないとイエスを十字架につけた人間でしたが、しかし、今は聖霊となって私たち人間と共に生きています。

不思議ですね。
そうならば、人々が望む非暴力による平和な社会は成し遂げられるのではないでしょうか。
非暴力による平和は神の御心、神の業。きっと成し遂げられると思います。

みなさまの祝福を祈ります。