聖書 エズラ記10章1~44節
   マルコによる福音書10章1~12節
説教 平和の共同体の心得「神が結び合わせてくださる」

結婚はなぜするのか?この疑問は26歳以来私が疑問に思っていたことでした。結局、神が結び合わせるという神秘であるのかと思っていますが、はて、これが正解かどうかはわかりません。ただ、私はキリスト教に嵌ってきて、結婚はキリスト教徒と結婚するのがよいのではないかと思っていました。価値観が同じだということで。しかし、同じ価値観とはいったい何なのだろうと思うと、人によって異なります。信仰が同じだということはあり得ないと思います。キリスト教徒だというグループ分けされているにすぎません。日本人だ、黄色人種だ、人間だとグループ分けされているのと同じではないでしょうか?結婚もグループ内で行うものでなくてもいいと思うのです。聖書的には「神が結び合わせるのを人は離してはならい」(マルコ10章9節)となりましょう。

それをもとにエズラ記をみますと、祭司エズラは異教の人との結婚を罪とし、異教の嫁と嫁の産んだ子を離縁することをエルサレムのすべての人々に誓わせます。ここを読んで私はこれが神の御心なのかと疑いたくなります。エズラだって異教の王の庇護を受けている身で活動させてもらっているわけですから。そして、異教の嫁と子の離婚がすべて実行されたかというと、この、エズラ記の最後に、「以上の者は皆、異民族の女をめとった。その女の中には子を産んだ者もあった(エズラ記10章44節)」とあり、離縁が敢行されたかは書かれていないのです。おや?なぜ?と思ってしまいます。

神が結び付けるもの、きっと、それはよりよく生きるこ\\]-{`促進してくれるのでしょうね。そして、それは分かるとすれば自分にしか分からないのではないでしょうか?そういうことがあると感謝や喜び、希望が与えられ、嬉しくなるのでしょうね。神が私と結び付けてくれるものって何なのかなあと楽しみになります。

皆様の祝福を祈ります。