出エジプト記2章1節~10節、コリント信徒への手紙第一10章13節
メッセージタイトル:試みにあっても モーセの生い立ち

生きているということは奇跡的なことです。私は未熟児で生まれましたが、保育器に入れられて命が助かったらしいです。
本日はモーセの生い立ちについて書かれています。エジプトでの話です。
モーセはヤコブの子供の一人レビの子孫から生まれました。当時エジプトのファラオは全国民に命じて言いました。「(ヘブライ人の)生まれた男の子は、ひとり残らずナイル側にほうりこめ。女の子は皆、生かしておけ。」
モーセは死すべき運命にあったのです。両親は3か月の間隠しておきました。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、その中に男の子を入れ、ナイルの側の葦の茂みの間に置きました。 その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に降りてきました。そこで、モーセは王女に川から引き上げられたわけです。そのとき、王女はモーセを見て不憫に思い、「これはきっとヘブライ人の子です」と言いました。そにとき、姉がファラオの王女に申し出ました。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を読んでまいりましょうか?」
です。王女は言いました。「この子を連れて行って、私に代わって乳を飲ませておやり。手当は私が出しますから。」。母親はその子を引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなるまで育てることができました。大きくなった子供は王女のもとに連れて行かされました。その子はこうして女王の子となり、王女は彼をモーセと名づけました。
モーセは、死すべき環境下を、奇跡的に生き延びます。しかも、エジプトの王女に助けられるという、なんとも、想像を絶する奇跡。さらに、本当の母親から乳を与えられ育てられたという奇跡も起こりました。
モーセは、重労働が課せられいじめや暴力が横行し、命の保証もない、エジプトから脱出するリーダーとなっていきます。本日の聖書の箇所は、モーセの死の危機からの脱出がまさに描かれていることであり、今後も起こることであることを予見させます。しかも、助けるのが、これから敵対していく、エジプト人の王女とは。敵を愛せよ、ということばをここにみませんか?ヘブライ人が愛されているんです。異教徒言われるエジプト人にです。なんでこんなことをイスラエルの人たちが自分たちの聖書に書き記すのでしょう。ここは、明らかに、ヤハウエの神が、イスラエルの神であり、エジプトの神でもある、ということを示した箇所であり、旧約聖書編集者がいたとしたら、神はイスラエル神であり、エジプトの神でもあるという思想の持ち主であると考えられますし、神様自身が語ったとすれば、神様がイエスラエルの神であり、エジプトの神であるということをしめしたことになります。少なくとも、神の救いの業がエジプトにも及んでいることをしめしているように思います。エジプトの王女ですが、後のイスラエルの国の王ソロモンの妻にもなっています。それだけ、イスラエルの支えになったということを旧約聖書から読み取れます。エジプトの王女だけにしておけばいいものを、そっちこっちの女に手を出して、700人の正妻と300人の側室を持ったものです。これじゃあやっていけなくなりますよね。聖書には神から娶ってはいけない諸国の国々の女性であって、他の神々に王の心を惑わせたとありますけど、ヤハウエの神を信じる者だけでも、1000人もの妻がいたら、いさかいが起こることは間違いなしですね。これは自業自得というもの。悪いことをする人は痛い目に合うということ。これはああたりまえ。危機でも何でもありません。罪を犯した結果は滅びです。
しかし、人は危機にあったとき、神様は私たちを助け出してくださいます。危機というのは東日本大震災のような災害もです。一部の異常な政治家やリーダーによって、巻き込まれてしまうような戦争や内戦、テロなどもそうです。いじめ,DV、セクハラ、パワハらもそうです。そういうものたちが命の危機にさらされるとき、エジプトの力を借りましたように、主から選ばれた者は、自分の信仰とは関係のない人、或いは、自分の命を狙うような人のお世話になって、危機から脱出できることを、本日の出エジプトから読み取ります。この世では、実際、キリスト者も神を信じない人も共に用いられ、神様の意思が実現されていくように思われます。
日常困ったことに出くわすと思います。そういうときは今日の聖書の箇所を思い出しましょう。そして、神様は、試練からの脱出の道を必ず与えてくれる(コリント信徒への手紙第一10章13節)ということを、覚えておきたいです。

祈ります。