「主はわが旗、平和」 旧約聖書: 出エジプト記 第17章8-15節 新約聖書: ローマの信徒への手紙 第8章31-39節 戦争の話が聖書に出てくると困ります。聖書は戦争を進めているのかの如くに思ってしまうからです。特に旧約はですね。今日の出エジプトの箇所もシナイ半島あたりにいたアマレクという民族とイスラエルととの戦いが描かれていますが、交戦好きはアマレクだったようです。食料や水に汲々としながら旅を続けるイスラエルの民。そこでは、勝すべはなかったでしょう。しかし、神に祈りを捧げることをもって、その、難を逃れたということが、書かれているのだと思われます。モーセが手を上げて応援したというのは、主への祈りを捧げたということでしょう。つまり、ここで言いたいことは、生きるとは、暮らしとは戦うことではなく、神への祈りが重要だといいたいのでしょう。アマレクは神に背いたと聖書には語られています。モーセは祭壇を築いて「主は我が旗」と名づけたとのことです。旗、これは平和の象徴だと思います。争いの象徴ではないと思います。「主は我が旗」というところもすごい表現だと思いますが。 本日は新約聖書の箇所として、ローマの信徒への手紙第8章31節以下を選びました。31節に「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」とあります。これは裏を返せば、私たちのこの世における平和の歩みは、敵対する力に囲まれており、常に戦いの中にある、ということです。その戦いのことが35節では「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」と語られています。この主イエスのキリストの愛は、どんなことがあってもなくならない、自分たちにからどんなことがっても離れないという宣言。ここに、平和が戦争を凌ぎ、暮らし続けていくことができるという希望を私は得ます。この世界は滅ばない、戦争を止めることができる、平和を実現することができる、そういうメッセージを今日の聖書からいただきました。 皆様の祝福を祈ります。