聖書 申命記4章44節~49
   ルカによる福音書1章1~4節
説教 平和の共同体の心得「聖書を書いた人」

 申命記を書いた人はモーセであるという伝統的立場の人もいますが、今日の申命記4章44節には「これから述べることはモーセがイスラエルの人々に示した律法である」と書かれていることから、モーセ以外の著者であったようにも考えられます。ルカによる福音書には、イエスについて物語として書く作業に多くの人が手を付けているからルカ自身もテオフィロ様(どんな人物かは不明)に書くということを言っています。聖書を書いた人は複数いたということが伺えます。(聖書の原本はまだ見つかっておらず、写本でしかありません。)新約聖書に至っては福音書だけでも4名の記述者マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの書簡(いずれも写本)があり、さらにパウロの手紙(写本)なども加わり、今のような聖書に構成されたのが4世紀か5世紀です。結局、聖書を書いた人は複数であり、全員の名前が分かっている訳ではありません。聖書は著者をあまり重要視しないで書かれているように思います。なぜでしょう? 聖書がどのような書物かについての説明が新約聖書テモテへの手紙第3章15節から16節に次のように書いてあります。「聖なる文書(聖書)はあなたに、キリスト・イエスにおける信仰による救いへといたるよう知恵を与え得るものである。書物(聖書)はすべて神的に霊的なものであって、教えのために、糾(ただ)すために、矯正のために、また義に基づく教育のために有用である(田川建三訳)」。聖書は救いの信仰に導く知恵を与え、教育にも有用だという内容のものだということです。そういうことから考えてみますと、聖書は、内容がしっかりしていればよい、著者はどうでもよい、という意識をもった方々の産物だったとも考えられます。
 私は10名くらいで職場のマニュアルの作成をしています。虐待防止マニュアルや接遇マニュアルなど20くらいのマニュアルを作ったので、せっかく作ったのだから著者の名前を記そうと提案したのですが、マニュアルのしっかりした内容があればいい、著者は書かなくていいというような意見が大半で、結局著者は残さないことにしました。
 もしかしたら、聖書もこんな感じで書かれたのかなと思い、マニュアルを作っていてうれしく思いました。
 みなさまの祝福を祈ります。