申命記31章30節~32章44節 マルコによる福音書8章1節~10節 説教 平和の共同体の心得 「歌」 歌を歌うという人間の特性がありますね。日常溢れています。プロの歌手もいるくらい、人が必要としているものでもあるようです。私は障害者施設や老人保健施設に勤めていますが、毎週歌を歌っているものですから、「歌の先生来たよ」と言われることがよくあり、歌を歌う事を楽しみにしているようです。その中には、重い認知症になったり、手足が動かなくなったり、寝たきりになってさえも、歌ったり、参加している方もいらっしゃるのです。それだけ歌を歌ったり、歌を聞くことには人としての生きる活動の秘儀があるように思っています。歌そのものには、作者がこれは重要だと思うことが示されています。内村鑑三も信仰の結果としての歌を上げています。つまり、諸悪のために実現できない神(善)の意志も歌にはなる!ということを語っているのです。そういう意味で歌に神の意志を見出し、歌に私たちが励まされ、生きる意志を見出していくことができる場合があるように思います。 さて、本日の歌については、モーセの歌とイエスの讃美の祈りをみてみましょう。モーセの歌はイスラエルの民が神に守られ、裁きを正しく行ってくれるということが歌われています。イエスは空腹を覚える4000人の人に7つのパンと少しの魚をもって、食べ物を提供する前に讃美の祈りを捧げたということが書かれています。イエスの場合は祈りですが、歌にも祈りの要素があると思われますので同等に扱わせていただきました(すみません)。 正しい裁きが行われていない世界でも神は正しく裁き、この地にその結果を表す、生きていくことが困難に思えるような現実社会においても、神は奇跡をもって人が生きるようにしてくださる、このようなメッセージを本日の聖書から私は受ける者です。 みんなが苦難の中にあっても、生きることを選ぶように私はこれらのことを覚え、歌にすることでも覚えていきたいものです。 皆様の祝福を祈ります。