7月12日分です。こちらが本業ですので毎週アップさせていただきます。お騒がせしましてすみません。 聖書 申命記29章1節~30章20節 ヨハネによる福音書14章6節 説教 平和の共同体の心得 「命を選べ」 本日の申命記には、祝福と呪いの誓いを伴う契約が記されています。神様の言うことを聞けば、祝福されるし、いうことを聞かなければ、呪われる、というようなことが書かれています。そして、この祝福と呪いを伴の契約は、「今日、ここで、我々の神、主の御前にいる者とも、今日ここに我々と共にいない者とも結ぶのである」と語っています。つまり、この祝福と呪いを伴う契約はイスラエルの民だけではなく、それ以外の民も含めた全人類だということになりましょう。 祝福はいいのですが、呪いは困りますね。神は我々を呪うのか、という疑問もでてきます。申命記30章19節20節には、「わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声に聞き、主に付き従いなさい。それがまさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えられると誓われた土地に住むことができる」とありますように、我々に神は、生きること、祝福を受けることを進めています。呪われよ、死せ、とは言わないのです。新約聖書ヨハネによる福音書1章6節には「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父(神)のところへはいくことができない。」とあいますように、神の意志や人への命令は、「命を選べ」「生きろ」「幸いになれ」ということでありまして、呪われよという表現は神の意志を表すには不適切ですね。 神の呪いを最大に利用して、テロや殺人を正当化しているのが、イスラミックステイトやイスラム教やキリスト教の原理主義者の一部にみられる残虐な行為だと思います。呪いを神の意志としてとらえ、しかも、人がそれを利用して命を滅ぼすことはおかしいこと、あってはならないことです。神とは命そのものだからです。 皆様の祝福を祈ります。