申命記23章25~26節
マタイによる福音書12章1節から8節

余裕のある暮らし

聖書には人々が困難、苦難にあったときにどうやって生き延びたか、の知恵が書かれています。申命記には細々とした決りが記されていますが、当時の時代背景からすると、必要なことだったのでしょう。そうした中で、本日は隣人のブドウ畑に入った時に思う存分食べてよいということが書かれているのは興味深いです。籠に入れてはならないとあります。隣人の麦畑に入る時は、手で穂を積んでもよいが、鎌を使ってはならないとあります。少しなら、どうぞ、いいよということなのでしょうが、随分大から、余裕がありますね。こういうのを読んでいますと、気持ちが楽になりますね。
新約聖書でも、腹を空かした人が、麦の穂を安息日に取ることについてイエスは大目に見てもいいだろう、というようなことを律法学者に言います。
聖書は、生きることを大前提にして書いています。死と隣り合わせの危機的状況の中で、人が生き抜く知恵が書いてあるといってもよいでしょう。そうしたとき、食べるものがなくなったら人様のものをいただいてもよいということを告げる聖書、イエスはとても興味深いです。生きること、これこそ、神業でもあると語っているように思います。わたしたちも、共に元気に生きるように、お互い、配慮していきたいですね。