申命記21章1~9節 旧約p312
 ヨハネによる福音書11章1~27節 新約p18
 平和の共同体の心得 「人を大切にするということが人を生かす」

今年1月に、後藤健二さんという方と湯川遥菜が殺害されました。その遺体はほったらかしということです。破壊行動の最たる結果です。

本日の申命記には、誰に殺されたかわからない遺体について、弔い方について書かれています。「死体に最も近い町の長老たちは、労役に使われたことのない牝牛、すなわち軛を負わされたことのない若い牝牛を選び、長老たちは、その牝牛を水の尽きることのない川の、耕したことも種を蒔いたこともない岸辺に連れて行き、その川で雌牛の首を折らねばならない。それからレビの子孫である祭司たちが進み出る。あなたの神、主がご自分に仕えさせ、また、主の御名によって祝福を与えるためにお選びになったのは彼等であり、争い事や傷害事件は、すべて彼らの指示に従わねばならないのである。死体に最も近い町の長老たちは皆、川で首を折られた雌牛の上で手を洗い、証言として言わねばならない。「我々の手はこの流血事件とかかわりなく、目は何も見ていません。主よ、あなたが救い出されたあなたの民、イスラエルの罪を贖い、あなたの民、イスラエルのうちに罪なき者の血を流した罪をとどめないでください。」こうして、彼らの血を流した罪は贖われる。あなたは主が正しいと見なされることを行うなら、罪なき者の血を流した罪を取り除くことが出来る。」
とあります。

これは、殺害された人を弔うと共に殺人犯を赦す行為です。もちろん、自首してきた場合は死罪なのでしょうけれど、この儀式を済ませた場合、自首した場合、助かるのかもしれません。すごいことを共同体は考えたものです。こういうことを逆に利用して暗殺することが出てきそうな気もします。しかし、このような決め事は、暗殺を罪なきものとするためではなく、殺害された方や家族、知人、関係者に対する思い、ひいては人を大切にするという気持ちの表れであるということと理解できます。死者へも思いを寄せる人の心が重要であり、そうしたことが人を生かす、ことでもあるのでしょう。

本日の新約聖書のヨハネによる福音書には、もう死んで4日経っているラザロという人を生き返らせることが書かれている箇所です。イエスはラザロやそのラザロの家族である姉妹(マルタとマリア)を愛しておられたようですし、その家族もイエスを愛していたようです。そういう状況下で起こったラザロの死からの生還。この奇跡が起こった背景について、人々が愛し合うということが記されています。
愛すること、人を大切にすることが人をいかすということは、確かなようです。殺害や戦争はまずおこらないでしょうから。

私達は平和な共同体を形成したいと思っています。それには人を大切にするという気持ちとそれに基づく行動が大切だということを学びました。人を大切にする実践をしていきたいものです。

みなさまの祝福を祈ります。