聖書 申命記20章1~20節 旧約p311 マルコによる福音書14章22~26節 新約p91 説教 平和の共同体の心得 「神は戦争はしない」 さて、神は戦争を進めるのか? 十戒に、汝人を殺してはならない。とありながら、聖絶命令を出すのか。旧約聖書の問題点は、神の聖絶命令、破壊宣言でありましょう。創造主が破壊するのだろうか?否、否、否です。 聖書は、神が書いたのではない。人が神について書いたのでしょう。 しかも、よっぽど時間的余裕のある人が書いたと思われます。ヨシアの宗教改革の時に申命記が記されたとも感がられています。権力者が自分の政策を正当化するために、聖戦という概念を用いたと思われます。 神は、戦争をせよ、などともうしません。あくまで平和、しかも、絶対的平和主義です。十戒の汝殺すなかれ、が神の言葉としては真実性がります。イザヤ書の著者らのなかにも絶対的平和主義者がいらすいたようです。イザヤ賞4章4節。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや、戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。と語っています。 さらに新約聖書では、イエスの肉と血が人の罪の赦しのために捧げられりということが記されています。自己犠牲を払ってまで、他者を救おうとされるイエス。決して、イエスを捕える人々に抵抗しませんでした。十字架にかけられるままに歩んだのです。イエスにとっても平和がテーマの一つだったと思います。 神は聖戦は命じない、平和を命じているのです。