聖書 申命記12章1節~13章1節 旧約p302 (朗読:申命記13章1節) マルコによる福音書10章13~16節 新約p81 説教 平和の共同体の心得 「死と直面しながら生きている。これは奇跡だ」 讃美歌21 458、459、462 出エジプト記には、エジプトでの虐待、難民としての旅路、未知の民族、破壊的な風習のある民族が住んでいる土地での暮らし、と、イスラエルの民族存亡の危機が迫っているような状況下にあるように思えてなりません。かなり危ないのです。よりどころを失ったもぬけの殻となった人間たちがイスラエルの民族であったようにも思える。そのイスラエルが最後のよりどころとしたのが、ヤハウエの神、十戒、律法だったということ。十戒など律法は、自分の命が危うく、また、子孫についても、どうなるか危うく、不安要因がたくさんある中で、自分が死んでいくとき、大事だと分かったのが、律法なのではないかと思います。そして、この律法を守っていった場合に不思議に生きていけた。幸いに。そういう体験をイスラエルの民はして行ったのかもしれません。そして、この律法を継承していったのだとも思います。 イエスの時代。イエスは、子どもを祝福します。彼等こそ、神の国に入れるというのです。おそらく、このことは、子どもはいつ死ぬか分からない弱い存在。実際、しっかりした子育て環境がなければ、子どもは、生きていけない。虐待が報道されていますが、それで命を落とす子供が多い。子どもは明らかに多く環境に依存しています。 イエスはそのような瀕死の人々がいきるように一人で手を差し出した。弟子たちもそうしたときもあった。 聖書は、神と人間の関係を、死に引き込まれる人間の救いを神が行うことを示している。死と隣り合わせで生きている。そういう人間について聖書は注目している。そして、そういう弱いものが生きていることは、ちょっと考えてみれば、奇跡であります。生きていることに、その恵みがわかり、感謝できるのも瀕死の状態で生きているからこそなんでしょう。恵まれすぎては、生きることの本当の喜びは分からないのかもしれません。 生きてることに感謝し、奇跡に気づき、その喜びにと共に、暮らしていきましょう。