歴代誌下36章
マタイによる福音書12章15-21節
題:平和の共同体の心得「奇想天外な奇跡」

歴代誌下の最後の36章の終わりを読むとなんとも衝撃的な驚きを私は受けます。イスラエルの民のユダ王国はエジプトの支配下に置かれました。その後、エジプトがバビロニアに敗北し、エルサレムの神殿も破壊され、生き残った人々はバビロニアの捕囚民とされてしまいます。頼るべきものは何もなくなったイスラエルの民。自分自身の信仰によっても自分の民を救うことができなくなりました。しかし、歴代誌にはペルシャの大キュロスが、バビロニアを征服し、主がキュロスの霊を奮い起こさせ、イスラエルの民を解放し、エルサレムに帰還させたと言うことが書かれています。70年の捕囚の終わりです。ペルシャの王キュロスは、イスラエルの民ではありません。ペルシャと言えば、おそらくゾロアスター教の信仰であったと思われます。イザヤ書には、異教の王キョロスが、イスラエルの民の救い主とさえ書かれています。ここは本当に驚くべきところです。神が異教の王を用いて、イスラエルの民を救うと言う出来事が起こったと言うことです。神の働きは宗教関係なく及ぶと言う事を示しているからです。

今日の新約聖書では神が選ばれた僕という個所です。「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」
これは、イエスのことをマタイによる福音書記者がイザヤ書などを用いて表現したものですが、ここでも異邦人に正義を知らせるのがイエスだと宗教を超えて神が影響を及ぼす、神の正義を知らしめるということが示されているようです。

私たちも、キリスト教でありながら、キリスト教以外の方々に助けられている事はありませんでしょうか。私の母親は仏教徒であり神道でもありますが、礼拝に毎週参加してくれています。気仙沼集会のクリスマス会の、準備はキリスト教以外の方々にお世話になっとります。私の生活費を得るための職場も、キリスト教とは関係のない方々のお力によるものです。私は弱く小さく何もできない存在ですが、周囲の方々のお世話になって生きていることができているわけです。ですから、神の力は自分の宗教以外に及ぶと言う事は全くもって実感できることです。そういうことを本日の歴代誌下、マタイによる福音書記者は語っており、真実を見る目を持った方が書かれたところかなと思います。

とかく、自分の宗教が1番だと思いがちな傾向になってしまう中で全く違う宗教の人が自分たちを救う現実、そういう人間の有り様を本日の聖書の個所から読み取ることができます。救いは宗教関係なく奇想天外な形で訪れる。そう今日の聖書を読んで思わされました。

皆様の祝福をお祈りします