聖書 歴代誌13章1~14節
マルコによる福音書14章1~9節
説教 平和の共同体の心得「どんな好意も受け入れる」
今日の歴代誌の個所は、私には納得がいかない出来事が描かれています。エルサレムに「神の箱」を車に乗せて牛に引かせて運ぶ際、牛がよろけたので、ウザという人が「神の箱」を押さえつけようとしました。「ウザが箱に手を伸ばしたので主は怒りを発し、彼を打たれた。彼はその場で、神の御前で死んだ(10節)」とあります。これはあまりにも酷過ぎます。神の箱が落ちないようにと大切に扱ったにも関わらず、命を奪われるなんて・・・これって私の信じている十戒を勧める神様のすることではない!と叫ばざるを得ません。注解書などを見ますと、ここは民数記4章に神の箱はレビ人のケハトという氏族が担ぎ棒を入れて担ぐようになっており、「聖なるものに触ると死を招く」というような記載があるので、ウザ(レビ人でもない)は、律法に反したというわけで死亡したということです。「聖なるものに触ると死を招く」とか「聖なるものに近づいたり、見たりすると死を招く(レビ人以外)」こういう律法が出てきた由来はなんだろうと疑問をもってしまいます。神様ってこんなに拘りの強い方なのか?しかも殺害までするのか?と疑問が次々と湧いてきてしまうのです。
その点、イエスは弟子たちと安息日に麦の穂を摘んだり、人を癒したり律法違反と思われることをしましたが、神から裁かれるという事はありませんでした。また、姦淫の罪に問われた女も罪に定めませんでした。イエスは人を殺害しません。さらに本日の0マルコによる福音書には、一人の女がイエスに高価なナルドの香油を頭に注ぎかけました。300デナリオン以上もするようです。1デナリオンは当時の一日の労働賃金に相当したとのことです。300万円以上の香油だったようです。居合わせた人々はこの情景をみて、「無駄使いだ、貧しい人々に施すことができたのに」と何人かが憤慨していいました。すると、イエスは言われました。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしによいことをしてくれたのだ」イエスは女の好意を受け取ったのでしょう。
ウザの好意も神は受け取ったのだと思います。ウザが死んだのは、心不全か何かの突然死が原因だったのではないかと思います。神の箱を運搬するということでかなり緊張していて前日から睡眠不足だったりしてストレスも最高潮のところに神の箱がよろける事件。思わず手で箱を抑えましたが、その時大きな心理的ショックを疲弊した身体に受け心停止を引き起こしたと私は想像しました。ウザの死を目撃した人々は神が撃ったと思いこみ、それがエピソードとして伝えられたのだろうと思います。ウザの死については今後もっと勉強してきたいと思っています。神が撃ったのではないということを証明していきたいと思っています。
本日のまとめとしましては説教題の「神はどんな好意も受け入れる」といたします。自分が不完全でも自分の神に対するどんな好意でも受け入れてもらえると思います。遠慮せず、好意を捧げてまいりましょう。献金でもよし、会堂掃除など奉仕でもよいでしょう。福音を伝える宣教活動、貧しい人や障碍のある方や差別されている方々と友になること、聖書を読み祈ること、教会建設、維持管理、礼拝出席等でもよいでしょう。神に対し好意をそれぞれご自分なりに捧げて参ることができたらいいなあと思います。必ず、満足と喜び、そして平和が与えられると思います。
みなさまの祝福を祈ります。