聖書 歴代誌下8章18~22節
マタイによる福音書6章25~34節
説教 平和の共同体の心得「思いわずらうな」

東大話法というのがあるらしいです。東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩が著書『原発危機と「東大話法」』(2012年1月出版)で提唱している用語。この用語について、安冨は『東京大学(東大)の学生・教員・卒業生たちが往々にして使うとされる「欺瞞的で傍観者的」な話法』と定義していて、原発の危険性を安全だと言う東大の教授がいう時に思いついた造語らしいです。以下のような特徴があるといいます。
1. 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
2. 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
3. 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
4. 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
5. どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
6. 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
7. その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
8. 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
9. 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
10. スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
11. 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
12. 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
13. 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
14. 羊頭狗肉。
15. わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
16. わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
17. ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
18. ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
19. 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
20. 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

権力者側の保身やうわべだけを取り繕う話法だと言います。ああ、こういう人っているなあと思ったり、自分も都合が悪くなるとやってしまうかなあ、と思ったりしています。しかし、東大まで行ってこんなことに頭を使うのは情けない、こんなことに思いわずらうことになるなんて哀れだと思います。

 本日のタイトルは本日のマタイによる福音書にある「思いわずらうな」というイエスの言葉から取りました。
「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(口語訳) 」

栄華を極めたソロモンよりも野の花の方が着飾っているというのです。まるで、栄華なんか極めないで、今のままの方がずっと良いといっているかもようです。栄華を求めていくには思いわずらいが付き物だということでしょう。それよりは、「神の国と神の義を求めなさい」と語ります。つまり、愛とか自由とか正義とか平和というような神の国や神の義に関わる事柄、こういうことを心から求めていったときに、人は満たされるとイエスは語ってくれているように私は思います。この場合は、原発のために東大話法を思わずらって考える必要もないし、東大話法に思いわずらわされることもないわけですから。

みなさまの祝福を祈ります。